火曜日, 5月 05, 2015

シノーポリ 思索的な天才の煌き


ワーグナー:序曲・前奏曲集 他

<プロフィール>

 ジュゼッペ・シノーポリGiuseppe Sinopoli1946112日~ 2001420日)は、存命していればいまだ60才台後半。指揮者としては真っ盛りの円熟期であり、間違いなく現在のクラシック音楽界の風景を大きく変えたであろう逸材である。戦後の1946年イタリアのヴェネチア生まれ。ユダヤ系移民と言われるが、若き日より天才肌の音楽家として活躍。 

 ヴェネチア音楽院で音楽を、パドヴァ大学で精神医学と人類学を、ドイツのダルムシュタットでマデルナ、シュトックハウゼンから現代音楽を学び、1972年弱冠26才にして母校のヴェネチア音楽院で現代音楽・電子音楽の教授に就任。同年、ウィーンでハンス・スワロフスキーから指揮法を学び、31才にパリ音楽院で指揮を教えるようになる。 

 1978年ヴェネチアでアイーダを振ってヴェルディ指揮者として本格デビュー(因縁めくけれど、2001420日、ベルリン・ドイツオペラで同じアイーダを演奏中、第3幕に心筋梗塞で倒れ不帰の人となった)。 

 1980年にはマクベス(ベルリン・ドイツオペラ)、アイーダ(ハンブルク国立歌劇場)、アッティラ(ウィーン国立歌劇場)のヴェルディの3オペラを、83年マノン・レスコー(コベントガーデン王立歌劇場)、85年タンホイザー(バイロイト音楽祭)を指揮するが未だ39才だった。また、同時期に作曲家として、1981年自作「ルー・サロメ」をバイエルン国立歌劇場にて初演。 

 オーケストラ指揮者としては、1984年にフィルハーモニア管弦楽団(カラヤン、クレンペラーらが手塩にかけた時代を経て、前任ムーティエの後を継いでの就任)、1992年からはドレスデン国立管弦楽団(ドレスデン・シュターツカペレ、以下、ドレスデンと略記)の首席を務めたほか、当代一流のオケと組んだ多彩な名演を送り出した。
 
★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ 
 
まず、主要なフィールドについては、以下を参照されたい。
 

★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆

以下、いくつか個別の録音について 。ブルックナーについては以前、書いたのでそれ以外を掲載したい。



















マーラー:交響曲第1番



第1楽章、慎重にも慎重すぎるような細心の出だしである。それがリラックスした主旋律に引きつがれていく絶妙な展開からも並々ならぬシノーポリの技量をみてとることができる。遅めのテンポのなかで、一音とても揺るがせにしない、全てをクリアに再現せんとするような意欲的で緻密な演奏である。
第2楽章、リズミックさと管弦楽の色彩感が映える。テンポを可変に動かし表情つけも巧みで、音楽にあわせて思わず身体が反応してしまうような触媒効果がある。
第3楽章、一転して昏い闇夜を歩くかの場面転換。ただし、無暗な陰影ではなく、後半は明るさを取り戻しインテンポでアコースティックな響きはシノーポリのラヴェル「ボレロ」の名演を連想させるところもある。
終楽章、大きなスケールで強弱に落差をつけた劇的な表現。前3楽章の特質を再現しつつ、この歯切れのよい、曖昧さのないマーラー解釈こそシノーポリ演奏の魅力である。

★☆ ★☆

マーラー:交響曲第5番


本盤は1985年1月ロンドンの教会での録音ですが、残響が豊かでマーラー特有の音の「奔流」が存分に味わえます。1904年のマーラー自身による初演もケルンの会堂でしたから残響はもしかすると当時も意識されていたかも知れません。

 演奏そのものはシノーポリらしい分析癖、「理詰め」が随所で感じられ、あらゆる音が明瞭に再現されますが、それをうるさく感じさせないのは、この残響効果との絶妙なマッチングゆえかも知れません。激しいダイナミズムと腺病質なリリシズムが常に交錯しますが、見事な統一感は保たれ堂々とした名演です。シノーポリの抜群の才覚を知るうえでも必須の1枚だと思います。

★☆ ★☆

マーラー:交響曲第9番


シノーポリの演奏の特質は、ワルター、バーンスタインやテンシュテットなどにみられる、マーラーが9番という曲にどのような思いを込めるのかといった主意主義的なアプローチではないと感じる。

作品を一度、徹底的に解剖し、要素分解してのち緻密に組み立て直したかのような演奏で、怪奇的、腺病質的、耽美的、激情的な表現が、場面によってカメレオンのように変化しつつ、あくまでも「音の素材」として十全に表現される。
しかも、シノーポリの高度な技法だがオーケストラから全放射される音が千変万化する。ドレスデン・シュターツカペレの音はフィルハーモニー管(1993年、セッション録音)にくらべて重く、かつテンポはさらに遅く演奏時間は93分を超えて長大だ。

マーラーの9番は現代音楽の秀でた先駆といったアプローチだが、ライヴならではの緊張感と凝縮感は十分で、シノーポリはここで、いままでにない斬新なるマーラー像を提示している。

★☆ ★☆

Mahler / Sinopoli: The Complete Recordings Philharmonia Orchestra


★☆ ★☆ ★☆ ★☆  

シューマン:交響曲第2番
http://www.amazon.co.jp/review/R2MVOX6UY9LHPP

・シューマン交響曲第2番について 

第1楽章、まず驚くのは各フレーズがお互い反応するように重畳的に響くことで、複雑で起伏の大きい感情表出が企図されている。上昇、下降の音階がめまぐるしく交錯するが、ハーモニーよりも激しいリズムを強調している。第2楽章もテンポを上げ、リズムの跳躍により緊迫感を持続させる。ただし中間から人恋しき整ったメロディも見え隠れする。

第3楽章は一転、大きく減速しメロディにたっぷりと浸る展開。トーンは哀愁よりもほの耀(あかる)さがいささか優る。終楽章、テンポが上がり、リズムと主題のメロディが絡まる。

シノーポリは各楽章の性格づけをはっきりとさせ、終楽章で全体をハーモナイズせんとしているように思う。スケールの大きな満ち足りたエンディングである。
 
★☆ ★☆ ★☆ ★☆  

Symphony 4 Italian
http://www.amazon.co.jp/dp/B000001GNF/ref=cm_cr_asin_lnk

・メンデルスゾーン交響曲第4番について

若き駿馬が晴天の草原を全力で駆け抜けるような躍動感のある第1楽章、つづく第2楽章は一転して古典的な典雅な響き。第3楽章では弦楽四重奏曲の中間楽章を連想させる完璧なアンサンブル、中間2楽章は減速しメロディの美しさを強調しているように思う。温存していたエネルギーを全開し奔流を高みから一気に放つような第4楽章。管楽器の短き強奏が飛沫のように発散する。シノーポリがおそらく周到に考え抜いた劇的な「イタリア」である。

★☆ ★☆ ★☆ ★☆ 
 








ベートーヴェン: 交響曲第9番《合唱》


気力充実、堂々たる演奏である。シノーポリは、ベートーヴェンの録音は自身円熟してからと思っていたかも知れない。残念ながらその道程で急逝し、いまある公式音源は多くない(この第9番と第3番くらいか)。

 第3楽章までの演奏スタイルは、トスカニーニに似ている。機能主義的で速度もはやい(トスカニーニ64分)。しかし、そのフレームのなかで緻密な音づくりに全力傾注し、かつ出来たてのエスプレッソを一気に注ぐような熱き思いもある。
 第4楽章の独唱部分がやや後景に引いて聴こえる。あるいは、ライヴ録音ゆえ、後日あえてそうしたチューニングを行っているのかも知れないが、結果的に迫力が減殺された感じ。全くの私的趣味だが、そこもトスカニーニ流、ヴェルディのレクイエムのような激甚さでやってくれたら、とてつもない名演になったのではないかとも思う。

→  
Art of Giuseppe Sinopoli  にて聴取

★☆ ★☆ ★☆ ★☆ 








Pines of Rome / Fountains of Rome


Art of Giuseppe Sinopoli  からの1枚。シノーポリの大胆な演奏。音のテクスチャーを深く掘り下げ、それを再構成して新境地をみせるシノーポリ流が遺憾なく発揮されている。レスピーギの「ローマ三部作」の表題性は曲者で、無理に表題に沿って聴こうとすると途中で飽きて、最後までいきつかない場合もあるのだが、この演奏のスリリングさはそれとは無縁。

表題性を一切無視して、楽曲そのものへ身を委ねると、別のイマジネーションが沸いてくる。イタリア音楽の天真爛漫さ、フランス音楽的あざとい分析癖、ロシア音楽的な荒々しい自然の息吹、それらがときに直接顔を出し、ときに混在として音の奔流となる。こんなに多様性豊かな面白い作品だったのかと膝を打つ。曖昧さのない明快な解釈とメリハリの利いた演奏ゆえであろう。この作品を世に出したトスカニーニの名演を思わず連想させる成果。


★☆ ★☆ ★☆ ★☆  







Debussy;La Mer


シノーポリ/フィルハーモニア管による「ラヴェル, ドビュッシー」集。「ボレロ」、「ダフニスとクロエ第2組曲」から無言劇、全員の踊り、「海 3つの交響的スケッチ」海の夜明けから真昼まで、波の戯れ、風と海との対話を収録。1988年8月ロンドンでのデジタル録音。

シノーポリがこの曲集が苦手の訳がない。ラテンの血はイタリアもフランスも共通するものも多い。イタリアオペラで鍛えた感性表現は当然、フランスものでもしっくりとくるものもあろう。さて、それに加えて、である。フランス的理詰め、エスプリ、哲学的直観―これらは、いずれもシノーポリの得意とするところ。フランス人はイタリアオペラを好みつつも、安普請なところはちょっと低くみるような「意地悪」もあるが、その優越感のなせるところは、自分たちの文化の背後に、理詰め、エスプリ、哲学的直観があるという自負によるからかも知れない。しかし、シノーポリは最高度にそれらを持っている。

まず「ボレロ」を聴いて参る。わずかに音に混濁があるようにも感じるが、理知的な名演。対して、「ダフニスとクロエ」と「海」は鷹揚としたスタイルであくまでもメローディアスな音楽空間にたゆたうような錯覚がある。しかし、それは単に「上手い」のではなく、音楽(作曲家)のツボを1点、迷うことなく瞬時にぴたりと押さえたような演奏をイメージさせる。

★☆ ★☆ ★☆ ★☆  


Pictures at an Exhibition / Night on Bald Mountain


ボレロで名演を残したシノーポリは、あたかもその「姉妹曲」としてこの展覧会の絵を取り上げたのではないかと思わせる。楽器の奥深い表現力の可能性を知ることができるテキスト(ラヴェルの管弦楽編曲の妙)として、シノーポリらしい音の多重性を楽しめ、全体としては重厚な演奏となっている(低弦の威力を強調)。

一方、(シノーポリと外見上似ているとも言われた)ムソルグスキーの荒ぶる魂よりも、ここでは音が千変万化するラヴェル・テイストを強く感じる。ただし、テンポは遅め、かつ大きく動かさずを基本方針としているようで、それが本曲のもつスリリングな展開の魅力をいささか減殺しているようにも思う。同じラヴェル・テイストであれば、デュトワ盤   
ムソルグスキー:組曲《展覧会の絵》、リムスキー=コルサコフ:《ロシアの復活祭》序曲、他   の方がよりエスプリもユーモアも効いており飽きさせないと感じる。

→  
Art of Giuseppe Sinopoli  も参照

0 件のコメント: