土曜日, 7月 12, 2014

クラシック音楽 聴きはじめ 5 ショルティ




サー・ゲオルグ・ショルティ(Sir Georg Solti, 1912 1997年)をライブで聴いたのは、一度だけですが1969年にウィーン・フィルと来日した際でした(以下は『ウィキペディア(Wikipedia) からの要約および加筆)。

 ショルティはハンガリーのブダペスト生まれ。6歳でピアノを習い始め1924年に、リスト音楽院でバルトーク、コダーイなどの指導を受け、ピアノ、作曲、指揮なども学び1930年、リスト音楽院を卒業。ブダペストの歌劇場でコレペティトゥーア採用。

 チャンスは、1936年にトスカニーニと知り合うことから始まります。ザルツブルク音楽祭でリハーサルのためのピアニストに欠員がでて、ショルティが急遽鍵盤の前に座ります。これがトスカニーニの目にとまり、同年と翌年のザルツブルク音楽祭のトスカニーニの助手を務め、1937年には「魔笛」の公演でグロッケンシュピールを担当します。

 1938年ブダペスト歌劇場にて「フィガロの結婚」で指揮者としてのデビュー。しかし軍靴の嵐が押し寄せ、彼はユダヤ系であったことから職を求めて苦労します。トスカニーニは援助の手を差しのべますが、渡米はできずスイスにとどまります。しかし天下の才人は違う!1942年、ジュネーブ国際コンクールの「ピアノ部門」で優勝。 

 戦後、1946年にバイエルン国立歌劇場の音楽監督に抜擢され、翌年「ピアニスト」として英デッカと契約を結び録音活動もスタート、さらに1949年、リヒャルト・シュトラウスと会い指導を受けます。1952年にフランクフルト市立歌劇場の音楽監督に就任(-1961年)。1953年サンフランシスコ歌劇場にて「エレクトラ」の指揮でアメリカデビュー。後に音楽監督として緊密な関係を築くシカゴ交響楽団の初指揮は、1954年夏のラヴィニア音楽祭にて。1958年クナッパーツブッシュがやるはずだったウィーン・フィルとの「ニーベルングの指輪」全曲スタジオ録音を担当し、驚愕の成果を上げます。1959年「ばらの騎士」でイギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場(ロイヤル・オペラ・ハウス)に登場、その成功により1961年に音楽監督に就任(-1971年)。 

 1969年のウィーン・フィルとの来日公演、同年シカゴ交響楽団の音楽監督に就任。1991年にシカゴ交響楽団の音楽監督を辞すも、桂冠指揮者として活動は継続。199795日、南フランスのアンティーブで死亡。遺骨はバルトークの墓の隣に埋葬。

 全集のディスコグラフィーは次のとおり。ベートーヴェン:交響曲全集(デッカ)/ブラームス:交響曲全集(同) /マーラー:交響曲全集(同)/ブルックナー:交響曲全集(同) /ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」全曲(同)/モーツァルト:オペラ「魔笛」(同) /バルトーク:管弦楽曲集(同)

ウィーン・フィルというじゃじゃ馬を見事に乗りこなす名騎手としてのショルティは、ウィーン・フィルのメンバーからの人気はいま一つだったようですが、その演奏の完璧性は誰しもが認めていたようです。来日演奏での正確性や燃焼度も記憶に残っていますが、なによりも再婚間もない奥方の美貌が忘れられません。当時ショルティ57歳頃ですが、溌剌としたカップルぶりでした。
 
http://mituhirousui.wordpress.com/2006/06/17/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e2%85%a4%e2%91%a3%e3%80%80%e3%83%bcg-%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%ab%e3%83%86%e3%82%a3/



ショルティ オペラ指揮者の実力
http://shokkou3.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html

The Hungarian Masters
http://www.amazon.co.jp/The-Hungarian-Masters-Georg-Solti/dp/B004J4RQFK/ref=cm_rdp_product_img
 
ショルティ/ロンドン・フィルによるバルトーク、コダーイ集。収録されている各曲は以下のとおり。ショルティには録音の良い新盤もあるが、40代の昇竜の勢いをもっていたこの時期、十八番のハンガリーものの迫力は聴きもの。 

◆バルトーク:舞踏組曲(1952年録音)

1923年ブダペスト市制50周年記念のために作曲された祝祭的作品。ストラヴィンスキーを連想させるような鋭いリズムの打ち降しとどこか懐かしい素朴なフォークロアの見事な融合をショルティは生き生きと活写している。

◆バルトーク:弦楽器 打楽器とチェレスタのための音楽(1955年録音)

第1楽章の半音階的な主題は不気味な、底知れぬ不安をかきたて、第2楽章のピアノの特色のある打鍵と弦の跳ねるような追尾(バルトーク・ピッツィカート)はとても躍動的。第3楽章の拍子木による幕開けの後は第1楽章の不安が再来しサイコ・ストーリーのバックにぴったりの曲が展開され、終楽章は民族的なメロディと強いリズミックな音感が綾を成し壮大なクライマックスにいたる。ショルティの演奏は以上の過程を整然かつ濃厚に描いており秀でたもの。 

◆コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』(1955年録音)

「プレリュード」の音楽的冗談<くしゃみ>の絶妙な表現、聴かせどころ第2曲「ウィーンの音楽時計」の無類の楽しさ、第4曲「戦争とナポレオンの敗北」にみる大胆なウイッティさ、第3曲「歌」、第5曲「間奏曲」でのやるせない民謡への郷愁、終曲「皇帝と廷臣たちの入場」の最高潮への誘導、ショルティの演奏は完璧という言葉を連想させるにたる周到な出来映え。

◆コダーイ:ガランタ舞曲(1952年録音)

1933年ブダペスト・フィル創立80周年記念のため作品された曲。ジプシーのメロディが多用され、哀愁もあるがエネルギーにも満ちた、かつ管弦楽の能力を最大限引き出すようなこの曲をショルティは自信をもって堂々と仕上げている。

◆コダーイ:ハンガリー民謡『孔雀』による変奏曲(1954年録音)

2次世界大戦が勃発した1939年に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団創立50周年記念のために作曲された曲。『孔雀』は正確には「孔雀は飛んだ」という民謡で、マジャール人のオスマン帝国支配下での自由への情熱を意味し、当時のファシズムに対しての抵抗がこめられていた。ショルティは晩年、世界平和への音楽での貢献を企図するが、そのいわば<表象>ともなった曲で、この頃から重要な「持ち駒」であった。切れ味のよい色彩感に富む演奏である。

◆コダーイ:ハンガリーの詩篇<英語歌唱>(1954年録音)
ウィリアム・マカルパイン(テノール)、ロンドン・フィルハーモニー合唱団

1923年ブダペスト市制50周年記念のために作曲された曲。16世紀の詩篇(ハンガリー語訳)がベースで、ハンガリー革命後の反動にあたって、革命派だったコダーイの思いをこの詩篇の歌詞によって表現しているといわれる。ショルティは、ここでも同国人の気概をもって集中力ある名演に仕上げている。 

なお、ヤーノシュ・クルカ/北西ドイツ・フィルによるリスト集<ハンガリー狂詩曲第6番『ペシュトの謝肉祭』、レーナウの『ファウスト』による2つのエピソード(夜の行列/村の居酒屋での踊り)、交響詩『フン族の戦い』>(1982年録音)がCD1に所収されている。

Wagner: The Operas



 ショルティの偉業を再認識させるアルバムである。彼がウイーン・フィルを振って史上初のセッション録音「指輪」全曲指揮者として登壇した当時、正直、その背景がよくわからなかった。並みいるワーグナー指揮者群像のなかにあってなぜショルティなのか?  


 最近、それ以前の分厚い蓄積 George Solti Conducts Opera Works に接して、なるほどと得心した。この人は1940年代後半から50年代にかけてオペラ分野の録音でコツコツと努力をかさね実績を積み上げ、その確実な<布石>と<強運>をもって栄えある地位をえた。しかも、そこにとどまらず、一層の精進をかさねウイーン・フィル、シカゴ響と録音を継続し、1958年から85年まで23年の歳月を費やして前人未踏の巨大な本ワーグナー・アルバムを残した。


  この時代、黄金期の歌手のラインナップが凄い。ニルソン、ヴィントガッセン、ジョージ・ロンドン、フラグスタート、ジェームズ・キング、クレスパン、ホッター、フィッシャー=ディースカウ、クリスタ・ルートヴィヒ、マルガ・ヘフゲン、プラシド・ドミンゴ、ルネ・コロ、ジェシー・ノーマン・・・、目が眩むような豪華絢爛たる布陣である。

 ショルティ再評価はこのアルバムに限定されない裾野の広さ(たとえばバルトークやR.シュトラウスなど)をみせるが、本セットはまちがいなくその中核を形成する。質量ともに本年、最強といってよい廉価盤集の登場である。


(参考)本集年代順録音記録
◆指輪 
Wagner: Der Ring des Nibelungen (Ring Cycle Complete) 1958~1965年
◆トリスタンとイゾルデ 
Tristan Und Isolde 1960年
◆タンホイザー 
Tannhauser (Slipcase) 1970年 
◆パルジファル 
Parsifal-Comp Opera 1971、72年
◆マイスタージンガー 
Die Meistersinger Von Numberg 1975年
◆オランダ人 
Wagner: Flying Dutchman 1976年
◆ローエングリン 
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」全曲 1985年
ほかに管弦楽集などがある。
 


マーラー:交響曲第4番
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA-%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3-%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF/dp/B008RNLQLE/ref=cm_cr-mr-title/375-3498840-3292336


ショルティのマーラーの第4番では、キリ・テ・カナワ(ソプラノ)、シカゴ交響楽団を振った1983年のデジタル録音が代表盤と言われるが、これはスタールマン(ソプラノ)、コンセルトヘボウとの1961年の旧盤である。ショルティ、はじめてのマーラー録音とのことだが、その美しい響きに陶然となるような名演である。

 コンセルトヘボウは、遡ること20年前の1941年に、ヴィンセント(ソプラノ)で名匠メンゲンベルクと歴史的なライヴ名演を残しているが、マーラーの最良の抒情性が結晶したような4番のメローディアス性がこのオーケストラの音質ととても合っていると感じる。

 ショルティという指揮者は、ワーグナーの『指輪』での金字塔のイメージが強すぎダイナミックな演奏の権化のように思われがちだが、その実、こうした絹のような手触りの曲づくりでも抜群の巧さをみせる。

 スタールマンの声は端整でけっして出すぎずにオーケストラの音色と溶け込み好印象を与える。最終部の木管楽器との柔らかな掛け合いの部分などは、まだ終わってほしくない、もっと聴いていたいという陶酔感をリスナーに与えずにはおかないだろう。
 
Symphony 7




今日、マーラーもブルックナーも得意とし双方を積極的に録音する指揮者は少なくない。インバルなどはその代表であろう。また、どちらかは全集、他方は選択的という指揮者は数多い。例えば、バーンスタインはマーラー交響曲全集はあるがブルックナーは選択的、カラヤンはその逆といった具合である。さて、ショルティは早くから双方ともに全集を録音している数少ない指揮者である。しかも、両全集ともに極めて均質的で素晴らしい出来である。


  ショルティはライナーやセル、オーマンディら「ハンガリアン・ファミリー」の一人。いずれも共通し、ハンガリー生まれで欧州で学びアメリカで活躍した音楽家だが、そのレパートリーは広大でムラや「駄演」がない。ハンガリアン・ファミリーはライナーが典型だが、オケを徹底的に鍛え上げ、テクストを深く読み込み、集中力溢れる演奏を心がける。

  マーラーの7番も他の演奏同様、高いレベルにあるが、特に手兵とも言うべきシカゴ響との共演であり他で聴けない独自の交響空間を形成している。オケが精密機器のような完璧な演奏をする一方、音の肌ざわりは時にシルキーである。第2、第5楽章の「夜曲」ではそうした肌理のこまやかさを表出する一方、ブレスの大音響の迫力でも音質は崩れない。マーラーの複雑な心象をより抉って表現する流儀とは異なるが、標準的に曲を聴きたい向きにはクセのない最適な演奏だろう。また、7番に限らないがショルティの高度なマーラー演奏を再認識するに十分な1枚でもある。



日曜日, 7月 06, 2014

カラヤン ふたたび 初期の立ち姿



http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%881908-1989%EF%BC%89_000000000213588/biography/

 第二次大戦後、フルトヴェングラーが苦労のすえ古巣のベルリン・フィルの指揮台に再び立ち、その復興に尽力したことが、どれほど大きくベルリン市民のみならずドイツ国民全体に勇気を与えたか。同様に、冷戦下の大変厳しい政治環境にあって、カラヤンが、世界最高のスキル・フルな楽団としてのベルリン・フィルをいかに手塩にかけて育て上げ世に問うたか。それによって、当時「孤島ベルリン」の安全保障になんと有形・無形の貢献をしたことか。
 いまから過去を振り返れば、至極あたりまえに見えることが、両人の血の滲むような努力なくしては決して成し得なかったことを考えると、フルトヴェングラーからカラヤンにいたる連続した時代の重みをズシリと感じる。

 そのカラヤンのデビューから1960年までの昇竜期の117枚の記録。以下は小生の聴いてきた初期の録音を中心に若干のコメントを。
 
Herbert von Karajan: Recordings 1938-60 Collection [Import, from US, Box set]
http://www.amazon.co.jp/dp/B008VT20TQ/ref=wl_it_dp_o_pC_S_ttl?_encoding=UTF8&colid=2AP6H65EZ6KPB&coliid=I1KE3M4DPWDOIT


 まず、193843年にかけてのSP録音の≪序曲/前奏曲集≫。戦前、戦中の若き日のカラヤンの英姿がここにある。ドイツ・イタリア枢軸国の代表的な名曲集といった「きな臭い部分」はあろうが、耳を傾けると、そこには類い希な才能にめぐまれた若手指揮者の立ち姿が浮かび上がってくる。特に、イタリアものの響きが、切なく可憐で、しかも初々しくも凛々しい。よくこんな音楽を奏でることができるものかと思う。30代前半のカラヤンの充ち満ちた才能に驚く1枚。


Herbert von Karajan : The Early Recordings (1938-1946)
 


 
  同様に30歳台前半のカラヤンの青年期の記録。圧倒的なスピード感、メリハリの利いた解釈、気力溢れる演奏。しかし、力押しばかりでなく、ときに柔らかく溌剌としたフレーズが心に滲みてくる。天才的な「冴え」である。後日、ベルリン・フィルがフルトヴェングラーの後任にカラヤンを指名した理由がよくわかるような気がする。カラヤンのベートーヴェンの斬新さはいま聴いても凄いと思う。


40年代のコンセルトヘボウとの共演も興味深く、ブラームス交響曲第1番や「サロメ」でのカラヤンは溌剌とし実に巧い。



【録音記録】



◆ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調op.92 1941/ベルリン)


◆「レオノーレ」序曲第3op.72a 1943年9月15日/アムステルダム):アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

◆ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1&第3幕への前奏曲(1939年2月、4月/ベルリン):ベルリン国立歌劇場管弦楽団
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

カラヤン、50年代のフィルハーモニア管弦楽団との演奏。モノラルながら聴きやすい録音。明確な解釈、快速な運行、品位ある抒情性に特色。特にウィーン・フィルとのベートーヴェン「第九」、ヴェルディ「レクイエム」は迫力にあふれた出色のもの。

協奏曲では相性のよいギーゼキングとベートーヴェンの4,5番、グリーグなども名匠ギーゼキングと相性よく粒ぞろいの名曲・名演集となっている。

 
「展覧会の絵」について 
 
1959年、この頃のカラヤンの演奏の切れの良さは、いま聴いてもいささかも古さを感じない。本曲についても後年のベルリン・フィルとの演奏のほうが完成度は高いとは思うけれど、曲想を大胆にイメージさせて、彫琢しすぎぬ、程よいオーケストラ・コントロールの即興的なドライブ感にはぞくぞくとさせるものがある。品位を失わない遊戯感覚(「テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか」)も壮麗な音響空間に佇む感覚(「鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー」~終曲「キエフの大門」)も、カラヤンならではの醍醐味。

http://www.amazon.co.jp/Mussorgsky-Ravel-Tableaux-exposition-Version/dp/B00J6DXGUS/ref=cm_cr-mr-title
 
 


1960年フィルハーモニア管弦楽団との録音のシベリウスの2番。その響きの「外延的」なひろがりと「内在的」なものを感じさせる音の奥行き、そこから独特の≪立体感≫がうまれてくる。そうした音楽がある種の威圧感をもって迫ってくる。けっして、よくいわれる表面的で軽いサウンドではない。そう簡単には解析できないし、解析できない以上、たやすく真似もできない。カラヤンの音づくりの典型がこのシベリウスには満ちている。

 レコードを聴きはじめた頃、カラヤン/ベルリン・フィルの新盤は高かったが、エンジェル・レーベルからのフィルハーモニア管弦楽団の旧盤は、録音が古くなったとの理由からダンピングされ安く買えた。しかも、旧盤は過去のもの、更改されて克服されるものとの受け止め方が一般で、その評価も一部を除き新盤に比べて「求心力にかける」「表面的」といった言い方で片付けられていた。
 しかし、今日聞き返してみてどうだろう。こうした独自の立体感あるサウンドを微塵の乱れもなく表現できること自体、もしも、いま同じような指揮者が彗星のように登場したら、おそらく評者の驚きは大きいだろう。30代は30代なりに、50代は50代なりに、その時代にあってカラヤンの実力とはたいしたものだと改めて感心しつつ、フィルハーモニア管弦楽団との演奏には独立の価値があると感じる。

http://anif.blogzine.jp/anif/2010/11/post_b0c3.html