土曜日, 7月 28, 2012

クナッパーツブッシュを聴く



クナッパーツブッシュについては、いままで結構、聴き、かつ書いてきました。

(参考)


 今回は、上記と一部、重複しますがブルックナーとそれ以外の作曲家の交響曲、管弦楽曲についてのコメントをまとめて掲載します。

<ブルックナー>

Bruckner: Symphony No. 3

クナッパーツブッシュ ブルックナー 交響曲第3番
http://www.amazon.co.jp/Bruckner-Symphony-No-3/dp/B0040XNTTW/ref=cm_cr-mr-title

1954年の録音(ノヴァーク版第3稿)。いわゆる「大見得を切り、大向こうを唸らせるような」演奏でクナッパーツブッシュ好きなら、<堪らない>節回しである。クナッパーツブッシュは同番についてステレオ録音をふくめ多くの記録を残しているが、1954年盤は珍しくスタジオ収録である。 

 本盤を聴いていて思うのは、クナッパーツブッシュには一瞬、肩の力を抜いて、「ひらり」と演奏してしまうような軽ろみの美学があり、これが他の指揮者にはないオケの高度な操舵法だろう。クナッパーツブッシュ自身、ブルックナーが好きで、各曲の解釈に絶対の自信をもち、かつ、ある意味、こうしたトリッキーさをご本人はこよなく楽しんで演奏しているような大家の風情がある。 

 しかも、その一方で、ときにパッショネイト丸出しのように全力ドライブするかと思うと、次に一転、沈着冷静に深い懐で構えたりと変幻自在で一筋縄ではいかない。その<意外性>こそ、この晦渋なる精神を吐露する3番でのクナッパーツブッシュの面目躍如と言えるだろう。

Anton Bruckner Symphonie No. 4 in E-Flat 'Romantic'
■クナッパーツブッシュ ブルックナー 交響曲第4番
http://www.amazon.co.jp/Anton-Bruckner-Symphonie-E-Flat-Romantic/dp/B00485WKV0/ref=cm_cr-mr-title

 194498日の収録。蚊のなくようなか細いイントロからいかにも録音は貧しいが、無意識に補正して聴けば、演奏は実に立派なもの。なにより表題のとおり、全篇「ロマンティック」な雰囲気に包まれている。

第1楽章アッチェレランドのかけ方が絶妙。第2楽章は比較的遅いイン・テンポ気味で静謐なヴァイオリンの響きがよい。主題の展開が低弦から次第に管楽器に移るにつれ音色は次第に明るくなり音量も自然に増していく。後半の印象的なピチカート部分もキチッと端正な処理。このあたりのクナッパーツブッシュ差配の上手さは格別なもの。第3楽章、冒頭の金管からリズムの振幅が増して、弦楽器の表情が豊かになる。第4楽章、冒頭からふたたびアッチェレランドを強調、弦楽器の陰影はさらに深くなりオケが音楽に没入しているさまがはっきりと看取できる。微妙なニュアンス付けとともに緊張感を醸成、極めて迫力あるエンディングを迎える。改訂版(ノヴァーク版は1953年以降)であること、ライヴゆえの細かなミスも気になるかも知れないが、全体を俯瞰すればまぎれもなく秀逸な名演である。

Bruckner Symphony No 5
■クナッパーツブッシュ ブルックナー 交響曲第5番

19566月、ウイーン・フィルとの演奏(改訂版)。ブルックナーの演奏では抑揚感というか、ダンスのステップを踏むような軽快さが心地よく気持ちを盛り上げてくれるスケルツォも楽しみの一つです。5番の第3楽章のモルト・ヴィヴァーチェは早いテンポのなか、畳み込むようなリズム感にあふれ、かつ特有の明るい和声が身上ですが、ここでクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルはなんとも見事な名人芸を披露してくれます。

 第4楽章はシャルクの手が大幅に入り、原典版に比して100小節以上のカットがあるといわれますが、峨々とした峡谷をいく流量の多い大河の流れにも似たクナッパーツブッシュの運行では、そうした割愛の不自然さをあまり意識させません。あるいは、自分がこの演奏に慣れすぎているせいかも知れませんが、これはこれで納得し良いと思ってしまいます。そこも大家の腕かも知れません。聴き終わって実に充足感が味わえる1枚です。


Berlin Philharmonic, Vol. 7 (1951)

■クナッパーツブッシュ ブルックナー 交響曲第7番
http://www.amazon.co.jp/Berlin-Philharmonic-Vol-7/dp/B005G8WXME/ref=cm_cr-mr-title

1949830日、ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音。雑音こそすくないものの、収録音域がせまく第4楽章のフィナーレなどもっとよい録音で聴ければなあとの感じをいだくリスナーもいるだろう。しかし、演奏そのものは質は高く一聴に値するものである。

1楽章、冒頭の短い「原始霧」から第3主題までの長い呈示部で、クナッパーツブッシュは、まるで自然にハミングするように朗々と歌っていく。その抒情性は優しく心地よい。豊かな詠奏は、第2楽章 アダージョのいわゆる「ワーグナーのための葬送」で頂点をむかえ静かな感動を醸成する。

3楽章のスケルツォは、力感があり明るい曲想に転じるが、この変わり舞台を見るかのような明暗のコントラストのつけ方こそクナッパーツブッシュの自在の技という気がする。第4楽章、コラールふうの旋律で、ふたたび弦のハミングは厚みをもって再開され、いっそうの感情表出ののち、速度を落としてのコーダからブルックナーにしては短い終結部までは、ある意味、すっきりとした運行である。録音の制約からあくまで直観ながら、ライヴ演奏であり、クナッパーツブッシュは、ここではウイーン・フィルらしい柔かく豊かな響きを存分に生かしているのではないかとの想像がはたらく。


 1963年の録音。 クナッパーツブッシュのブルックナーはその種類も多く、演奏、録音ともに良いとなると慎重なチョイスが必要な場合もありますが、ミュンヘン・フィルとの8番は素晴らしいものです(ライヴ盤もありますが本盤はスタジオ録音で音質は比較的良いと思います)。

 クナッパーツブッシュは練習嫌いで有名、逸話を読むと特に気心のしれたオケではあえて斜に構えてそうしていたふしもあるようです。これはうがった見方では1回の演奏への集中度、燃焼度を高めるうえでの「方法論」といった視点もあるのではないでしょうか。深くえぐり取られるような音の「沈降」と一気に上昇気流に乗るような音の「飛翔」のダイナミクスの大きさは他ではなかなか聴けません。かつ、音が過度に重くならずスカッとした聴後感があります。音楽の設計スケールの大きさが「桁違い」で、こういう演奏をする人にこそ巨匠(ヴィルトゥオーソ)性があると言うのでしょう。歴史的な名盤です。

(追記:2012730日)
  本曲では長大な第3楽章のアダージョ(モーツァルトの交響曲1曲分がすっぽりと入る長さ!)こそ、演奏の質を決めると思っている。この点でもベートーヴェンの第9番を連想させるが、クナッパーツブッシュの「凄さ」は、この第3楽章を滔々と流しながら、しかし、いかに遅くとも失速感がなく、一方で過度な緊張もしいず、飽きさせずに自然に響かせることにある。

 そこから浮かび上がるのは、なんと良き音楽なのだろうという、作品自身に対する深い満足感である。技術的には、連音符の繰り返しが慎重かつ巧みに処理され、同種テーマの再現でも、局面によって全て表情が違い、肌理の細かい配慮がなされている。その細部に至るまでの表情の「多様性」が、即興的に響くからこそ、魅力を湛えているのだと思う。いままで、桁違いの音楽スケールという点を強調してきたけれど、もう一つの隠れた技倆を、この第3楽章にみる思いである。



 1951年1月7~8日にかけて録音されたベルリン・フィルとの演奏(1892年改訂版)。1963年のミュンヘン・フィルとのスタジオ録音およびライヴ演奏があまりにも有名で、かつ録音時点も本盤は古いことから一般にはあまり注目されませんが、これも素晴らしい演奏です。 

 クナッパーツブッシュの魅力は、うまく表現できませんが、独特の「節まわし」とでもいうべきところにあるのではないかと感じます。特に変調するときの大きなうねりに似たリズムの刻み方などに彼特有のアクセントがあるような気がします。それがいまはあまり演奏されない「改訂版」の採択と相まって、通常の演奏とかなり異なった印象をあたえる一因になっていると思います。 

 ベルリン・フィルの演奏は今日の精密機械にも例えられる機能主義的ではなく、もっとプロ・ドイツ的な古式の響きを感じさせますが、しっかりと8番の「重さ」を受け止めて質感あるブルックナー像を浮かび上がらせています。大御所の名演です。



Bruckner: Sinfonie No. 9 (Titiana Palast 1950)

■クナッパーツブッシュ ブルックナー 交響曲第9番
http://www.amazon.co.jp/Bruckner-Sinfonie-Titiana-Palast-1950/dp/B003ZLU8OO/ref=cm_cr-mr-title

 1950128日、ベルリンでの録音。第1楽章「荘重かつ神秘的に」(Feierlich, misterioso)とはこうした解釈によって可能となるのか、といった逆説的な思いをいだくくらい強い説得力がある。不安定な調性、半音階の多用などの手法でリスナーに安寧をなかなか与えない原曲のもつ斬新さが、明確かつ強烈なサウンドによってより倍加される。ベルリン・フィルの色調は暗く、重く、しかも弦楽器の音色は独特のくすみのなかに深い哀切さがある。まさに作曲家の指示どおり一切の曖昧さなく「荘重かつ神秘的に」運行される。
2楽章はいかにもクナッパーツブッシュ的な、ダンスをするような軽やかなステップ感に満ち音楽がときに跳躍する。色調が明るく変化し、聴かせどころの強烈なトゥッティにも迫力はあるが、むしろ全体のリズムの見事な生かし方とメロディアスな部分の豊かな表情こそ重視されているようだ。
 3楽章は、原典版にくらべてかなり改変があるが、各種のクナッパーツブッシュ盤に親しんできたリスナーには、最後の部分を除いては突然の違和感は少ないだろう。ワーグナーチューバを用いた荘厳なコラール風の主題の部分ではオーケストラが集中しひとつになり、存分に歌っている。
クナッパーツブッシュの解釈は、全体を通して、悲壮さよりも強靭な精神を感じさせ、ブルックナーの最後の交響曲のもつ斬新さをより抽出せんとしているようだ。しかも、それは作曲家への心からの共感と熱い思いからでているとリスナーに感じさせる。なればこそブルックナー好きには胸打つ演奏である。

<ブルックナー以外>

■クナッパーツブッシュ モーツァルト 交響曲第41番

 1941911日、ウイーン・フィルを振っての演奏。ウイーンであれだけ活躍したわりに、クナッパーツブッシュのモーツァルトの音源は少ない。昨年、1940512日のこれもウイーン・フィルとのライヴ盤がリリースされたが本盤は従来から知られたもの。

 第1楽章は激しいパッションに貫かれてまるでベートーヴェンを聴いているような感じ。第2楽章はテンポこそ緩めるが個々の楽器を際立たせた濃厚な合奏、後半2楽章では少しくウイーン・フィルらしい洒脱さも垣間見えるが、全体としては雄渾なシンフォニックさに特色。モーツァルト・ファンなら評価は完全に分かれるだろうが、徹頭徹尾、男性的な「ジュピター」。

■クナッパーツブッシュ ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

1943年、ベルリン・フィルとのスタジオ録音。クナッパーツブッシュ得意の演目であり複数の記録があるが、本盤は録音こそ古い(かつ雑音もやや気になろう)がその代表盤だろう。

第1楽章の冒頭のリズムの刻み方はとりわけ厳しく、第2楽章では深く抉り取られるような低音部の分厚い音響が激しく沈降する。第3楽章は、軽快かつ明るく転換し、ホルンの主題の登場は半拍おいて朗々と奏でる心憎い運行。終楽章は若干テンポを落として堂々とした構えで締めくくる。全体にライヴ盤のような緊迫感に満ちており一気に揮毫したような即興性が持ち味。大家の名演である。

■クナッパーツブッシュ ベートーヴェン 交響曲第7番

19291119日、ベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮してのベートーヴェンの7番。音はそうとう痩せており、リスナーは想像力を働かせて補正して聴く必要があるだろう。だが内容は凄い。

第1楽章冒頭のテンポは滔々と遅いが、主題の展開とともに徐々に可変する。ザクザクと思いっきり裁断するリズムの迫力はすさまじい。第2楽章は表  情つややかながらフレーズは実に力強く、一切感傷的な纏がない。第3楽章はふたたびテンポを可変し金管を巧みに強調する。これは終楽章とのコントラストを狙った一種の「溜め」「じらし」効果か。オケの操舵のうまさを感じる。第4楽章の早い運行も見事だがファナティックではなく、理詰めの冷静さが滲む。

■クナッパーツブッシュ ブラームス 交響曲第2番

1947630日~71日、スイス・ロマンド管弦楽団とのブラームス交響曲第2番。同曲では1944年のベルリン・フィル、1959年のシュターツカペレ・ドレスデンとの録音が有名だが、本盤の演奏も充実している。

  スイス・ロマンド管弦楽団は、この巨匠との共演にあたって真率な態度で臨んでいることが伝わってくる。録音が悪く局所で音がふらつくが、全体の構成は大きく、とくに第4楽章の充実ぶりは素晴らしい。熱気がどんどん増していくことが聴いていて実感でき、畳み込むようなエンディングに向けての迫力は圧倒的である。同時期録音のマイスタージンガー前奏曲も好演。

■クナッパーツブッシュ ブラームス 交響曲第3番

クナッパーツブッシュについては、1950年代以降でも、交響曲第2番では、ミュヘン・フィル(1956年)、シュターツカペレ・ドレスデン、ウイーン・フィル(いずれも1959年)などが、おなじく第3番では、ベルリン・フィル(1950年)、シュターツカペレ・ドレスデン(1956年)、ウイーン・フィル(1958年)、シュトゥットガルト放送交響楽団(1963年)などが知られている。あえて40年代の録音を聴く意味はあるのかといった指摘もあるだろう。

しかし、たとえば第2番のスイス・ロマンド管弦楽団(1947年)との演奏には終戦後、自由を手にしたオケの真率な臨場に魅力があり、またこのベルリン・フィルとの第3番(1944年)には異様な凝縮感がある。第3番には1942年の録音もあるが、なんといっても敗戦直前のこの収録には指揮者、演奏者ともに、一種デーモンとでも言うべき、魂魄の気が支配している。録音の不透明さがそれを倍加しているかも知れないが、悲壮的な曲想がぎりぎりの表現芸術を生んでいるように感じるのは、リスナーの思い入れがあるからだけではないだろう。クナッパーツブッシュのファンなら聴いて損のない歴史的な名演である。

■クナッパーツブッシュ ブラームスの管弦楽集&ワーグナー「ジークフリート牧歌」

ブラームスの管弦楽集。「大学祝典序曲」、「アルト・ラプソディ」(*アルト:ルクレティア・ウェスト)、「悲劇的序曲」、「ハイドンの主題による変奏曲」(以上19575月録音)。くわえてワーグナー「ジークフリート牧歌」(19553月)を収録。

とくに「ハイドンの主題による変奏曲」が凄い演奏。古典的な名曲ながら、よく知られた管弦楽曲といったイメージの殻を打ち破るがごとく、巨大な構えで切れ味がなんとも鋭い。いつもながら滔々とテンポが遅いこともあって、1曲の「小交響曲」を聴いたような充実感がある。

ワーグナーの書き下ろし管弦楽曲「ジークフリート牧歌」もドイツの幽遠たる森に足を踏み入れるような深き響きが、クナッパーツブッシュ十八番の「パルジファル」を連想させる。録音もこの時代としては聴きやすい。

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