日曜日, 5月 27, 2012

クラシック音楽 聴きはじめ 11 リヒター

バッハ:ヨハネ受難曲

 リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団の歴史的名盤。歌手は、エヴァンゲリスト:ヘフリガー(テノール)、イエス:プライ(バリトン)、ペテロ、ピラト:キート・エンゲン(バス)、イヴリン・リアー(ソプラノ)、ヘルタ・テッパー(アルト)。19642月ミュンヘンにて収録。

  1969年、日本でのこのメンバーによる公演があった。マタイもヨハネもロ短調ミサも集中的に演奏された一大ページェントだったが、本曲は5月4日一度だけ取り上げられ、エヴァンゲリスト:ヘフリガー、イエスは、バリトンではなくキート・エンゲン(バス)が担当した。この公演自体がいまだに語り草になっているが、この5年前に収録された本盤はリヒターの厳しくも神々しいバッハ解釈を完璧に表現したものとして当時、大きな話題となった(レコードも3枚組で6,600円と実に高価だった)。

  本曲は、聖書の引用が多く、エヴァンゲリスト(福音朗読者)の役割がとりわけ大きいが、エルンスト・ヘフリガーは規範的な第一人者。イエスは若きヘルマン・プライが力演、全篇の合唱もダイナミックで劇的な迫力に富む。リヒターという不世出の敬虔なバッハ使徒が全力を注いだ記録という意味からも、本盤は今後も歴史的名盤の地位をけっして失わないだろう。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F-%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC-%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%BF-%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC-%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%B3/dp/B00005FHJS/ref=cm_cr_pr_pb_t

日曜日, 5月 20, 2012

リヒター




たまに興がのると宗教曲を聴きたくなる。どういった心境か自分でもよくわからないが、そうしたときに真っ先に思いつくのはリヒターだ。しかし、今回はリヒターのまえに、マルケヴィッチで「天地創造」を聴いた。


■ハイドン:オラトリオ《天地創造》

イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)

リヒャルト・ホルム(テノール)、キム・ボルイ(バス)

ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮:イーゴル・マルケヴィッチ

CDUCCG-4213/4(2枚組) \2,400(\2,286) ドイツ・グラモフォン

ゼーフリート等、当時の名歌手を配して録音された天地創造、日本初CD化。モノラル


次にリヒターでどこを聴くかを悩む。やはりマタイかな。
 





■J.S.バッハ:マタイ受難曲

 エルンスト・ヘフリガー(福音史家、アリア:テノール)

 キート・エンゲン(イエス:バス)

 アントニー・ファーベルク(第1の女、ピラトの妻:ソプラノ)

 イルムガルト・ゼーフリート(アリア:ソプラノ)

 ヘルタ・テッパー(第2の女、アリア:アルト)

 マックス・プレープストル(ユダ、ペテロ、ピラト、司祭の長:バス)

 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アリア:バス)

 ミュンヘン少年合唱団

 ミュンヘン・バッハ合唱団

 ミュンヘン・バッハ管弦楽団

 指揮:カール・リヒター

 録音:19586-8月 ミュンヘン、ヘルクレスザール(ステレオ)

ヴァルヒャ 2




ヘルムート・ヴァルヒャのオルガンを聴いたあと、同じヴァルヒャでチェンバロを聴きたくてCDラックから取り出してくる。シェリングのバッハは、いわずと知れた「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」(全曲)でも「ヴァイオリン協奏曲集」でも孤高、不朽の名演をのこしており、この組み合わせは最善、最強まちがいがない。しかも、先行レビュアーの方がコメントしているように、ヴァルヒャ唯一の協奏という希少性がある。

ここでもヴァルヒャのバッハ像はときに軽快で大らか、悲歌(エレジー)を思わせる曲にも背後からほの明かりが射すような温もりを感じさせ、シェリングのいささかパセティックな鋭角的な響きを包んでいるような印象をうける。両巨匠の素晴らしい掛け合いが緊張感をもって持続する。歴史的名盤、是非、再販を望みたい。

ヴァルヒャ 1

バッハ:オルガン名曲集


バッハのオルガンを聴きたくなるのは、少しくメランコリー、一人で沈思したいときではないだろうか。しかし、トッカータの原義は「触れる」という意味で、いわばオルガンの「腕ならし」曲といわれればすこし気分もかわり、本集の終曲、『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』には明るい導きの響きもある。
ヘルムート・ヴァルヒャの即興的な雰囲気漂う名演が、ひろく支持をえているのは、バッハの朗々さを見事に表現しているからではないだろうか。聴き終わったら、結構、気分が晴れるかも! 

<収録内容>

◆トッカータとフーガ ニ短調 BWV56519569月、アルクマール)

◆トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV56419569月、アルクマール)

◆幻想曲とフーガ ト短調 BWV54219629月、アルクマール)

◆パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV58319629月、アルクマール)

◆小フーガ ト短調 BWV57819705月、ストラスブール)

◆コラール『主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる』 BWV63919699月)

◆コラール『いざ来ませ、異教徒の救い主』 BWV65919715月、ストラスブール)

◆コラール『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』 BWV64519715月、ストラスブール)

日曜日, 5月 13, 2012

最近聴いているテンシュテット 2

Symphony Nos 3 6 7 8 Overtures


下記選集のベートーヴェン2枚を続けて聴く。やはりいいなあと感じ入ってしまう。3番はライヴ盤だが、大変バランスよく均整のとれた演奏で、いままで聴いてきたほかの指揮者のあまたの音源と比較しても、トップクラスの名演であると思う。すこしオーケストラの統制を緩めて軽快に飛ばすドライブ感(第1,3楽章)と速度をぎりぎりまで減速してたっぷりと情感をもって丁寧に仕上げていく(第2、4楽章)交互の手法が見事にいかされている。

これは6番や8番も同様で、とくに流麗、豊饒な音楽に特色のあるテンシュテット・サウンドのヒット感が6番では強く感じる。

3番、6番、8番そして序曲集と聴いてきて思うのは、オーケストラ(メンバー)が演奏しつつ心のなかで豊かに「歌っている」ということだ。外形的ではなく、まるでハミングでも聞こえてきそうな雰囲気で内面で「歌っている」。しかも、これは統制されて無理やりではなく、音楽に身をゆだねて自然に歌がでてくるような現場を思い浮かべる。これぞ、テンシュテットの底知れぬ魅力の源泉。


CD1:ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991926日、103日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル 

CD2:ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985915,16,19日、1986327日、『フィデリオ』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル

➡ https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R16GTBE3LK67C9/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B000HWZAPQ

最近聴いているテンシュテット

Great EMI Recordings


 テンシュテットの魅力は、 自由度の高さを感じさせる曲づくりのなか、流列のはっきりした音楽が豊かに奏でられる一方、それが時に大きく奔流する爽快感です。この「感じ」は20世紀初頭の巨匠時代を彷彿とさせる一方で、彼の演奏にはお仕着せがましさといったものが全くありません。虚心で素直に聴け、しかも聴衆に対して大きな包容力があります。旧東独出身、テンシュテットの特質は本選集でのいわゆる「ドイツ正統派」演目で如何なく発揮されていると思います。


<収録内容>

CD1:ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991926日、103日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル

CD2:ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985915,16,19日、1986327日、『フィデリオ』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル

CD3:ブラームス:交響曲第1番、1983921,22日、ドイツ・レクィエム 第1曲、第2曲、ロンドン・フィル

CD4:ブラームス:ドイツ・レクィエム 第3曲~終曲、1984819,20,23-25日、運命の歌、198552日、ロンドン・フィル

CD5:ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』(ハース、1881年版、19811213,15,16日)、ベルリン・フィル

CD6:ブルックナー:交響曲第8番(ノーヴァク、1890年版)、1982924-26日、ロンドン・フィル

CD7:マーラー:交響曲第1番『巨人』、シカゴ交響楽団、1990531-64

CD8:シューマン:交響曲第3番『ライン』、19781017-18日、交響曲第4番、ベルリン・フィル、1980418-20,22

CD9R.シュトラウス:『ツァラトゥストラはかく語りき』、19893月、『ドン・ファン』、19869月、『死と変容』、1982328,29日、ロンドン・フィル

CD10:ワーグナー:『ワルキューレ』~「ワルキューレの騎行」、「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」、『神々の黄昏』~「夜明けとジークフリートのラインの旅」、「ジークフリートの死と葬送行進曲」、『ラインの黄金』~「ワルハラへの神々の入場」、『ジークフリート』~「森のささやき」、1980106,8,9日、ベルリン・フィル

CD11:ワーグナー:『タンホイザー』序曲、『リエンツィ』序曲、『ローエングリン』第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、19821215日、1983416,17日、ベルリン・フィル

CD12:メンデルスゾーン:交響曲第4番『イタリア』、1980418-20,22日、シューベルト:交響曲第9番『グレート』、1983421-22日、ベルリン・フィル

CD13:ムソルグスキー:交響詩『禿山の一夜』(リムスキー=コルサコフ編)、1990510日、コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』、プロコフィエフ:組曲『キージェ中尉』、ロンドン・フィル、1983922,23,26

CD14:ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番、ロンドン・フィル、1984511-12日、シューマン:4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック 、ベルリン・フィル、19781017-18日、ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』、ベルリン・フィル、1984314,15



 このアルバムは象徴的である。「ツァラトゥストラ・・・」は不思議な曲、難解な曲と言われ、「埋葬の歌」や「病から回復に向かう者」といった表題をもった部分もある。テンシュテットは録音時点の19893月、重篤な病気闘病中であり、なぜこの曲の録音を行なったのか、いかなる心象で臨んだのかといった関心は否が応にも高まる。


 しかし、そんなことは付随的とも思わせる素晴らしいスケール感の、これは名演である。オルガンのぶ厚く低いイントロ、低音のトレロモ、トランペットの輝かしい閃光的な登場といった有名な序奏から終曲「さすらい人の夜の歌」まで一気に駆け抜けるような集中力ある演奏で、とても病気を押して演奏しているような風情はない。気迫にあふれ、バランス感絶妙の本演奏を接して、これほど気宇浩然の魅力的な曲だったのかと驚くリスナーも多かろう。19863月録音の「ドン・ファン」も同様な印象。テンシュテットがいかにR.シュトラウスを得意にしていたかを知る格好な1枚である。

ブルックナー:交響曲第8番


  全般に遅い運行で、特に第3楽章のアダージョ後半の第2主題を奏するヴァイオリンの引っぱり方などは限界に挑んでいるかのような緩慢さである。しかし、そこに籠められるのはとても深い豊かな響きである。

  フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、そしてチェリビダッケなどにも共通するが、遅いテンポの持続は、その少しの変化でも微妙な表情づけを可能とする。第4楽章も同様。速くなく(nicht schnell)どころではなく第3楽章の長い延長線が続く。フィナーレもコラール風の句の前後で若干、テンポが上がるが最後までほぼ巡航速度は維持される。フルトヴェングラーのようなアゴーギグにともなうクレッシェンドやディミニュエンドの多用はなく、使われる場合はかなり抑制的に(しかし、それゆえ効果的に)発動される。

  しかし内燃するエネルギーは迸るように激しく、なんど聴いても終了後深い感動がある。テンシュテットらしい名演。 

◆データ/ブルックナー:交響曲第8番(ノーヴァク、1890年版)、1982924-26日、ロンドン・フィル

♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫
 
Symphonies Nos 4 & 8 (Bril)


 クラウス・テンシュテットは東独の指揮者(1926年メルセベルク生まれ)だったので、早くから頭角はあらわしつつも冷戦下「西側」へのデビューが遅れました。しかし、豊穣なボリューム感をもった音楽性には独自の良さがあります。ブルックナーは得意の演目です。

 当初は、フルトヴェングラー、クレンペラーに続く古式ゆかしい指揮者と思っていましたが、聴き込むうちになんとも素晴らしい音づくりは彼独自のものと感じるようになりました。音の流れ方が自然で、解釈に押しつけがましさや「けれんみ」が全くありません。その一方で時に、柔らかく、なんとも豊かな音の奔流が聴衆を大きく包み込みます。そのカタルシスには形容しがたい魅力があります。ブルックナーの4番は、こうしたサウンドイメージにぴったりですし、ベルリンフィルとの相性も良いと思います。数多の名演のある4番ですが、小生は最も好きな演奏の一つです。 

◆データ/ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』(ハース、1881年版、19811213,15,16日)、ベルリン・フィル
Symphony 9 " New World " / Hary Janos


  198431415日ベルリンでの録音。カラヤンが帝王としてベルリンに君臨していた時代にもかかわらず、テンシュテットは同時期に比較的多くの録音をベルリン・フィルと残している。ライヴェルの存在には人一倍厳しかったと言われるカラヤンがなぜそれを許容したのか、という疑問は残るが、東独出身でおそらくは自分とは全く違うタイプの演奏家であり、覇を競う相手とは考えていなかったのかも知れない。 

  たしかに完璧な構成力を誇るカラヤン/ベルリン・フィルとは趣きのことなった「新世界」である。ベルリン・フィルはとても伸び伸びと演じているように聞こえる。テンシュテットらしくオケの自由度の幅を大きくとり、全体に鷹揚とした構えながら、要所要所では鋭角的なリズミックさを強調しつつ、メロディの丹念な彫琢もキチンと行っていく。木訥とした泥臭さをどこか遠くに感じさせながら、ベルリン・フィルのアンサンブルは申し分ない。弦と木管が前面にでて、全体に自然でしなやかな感じをよくだしている。小生好みのノイマン/チェコ・フィルの演奏にも通じるものがある。聴いて飽きのこない佳演。
Complete Mahler Recordings


 マーラーの交響曲全集は多い。これを世に問うのは、いまや力量ある指揮者の「証」といった感すらある。さらに、各番別には、指揮者もオケも鎬を削る主戦場でもあり百花繚乱の状況である。

 そのなかで全集としてどれを選ぶか。私はバーンスタインとテンシュテットを好む。各番別のベスト盤では種々の見解はあろうが、マーラーという世紀末に生き個人的にも深い懊悩をかかえた稀代の作曲家がなにを目指していたのかについて、明解に、かつ追体験的に迫るアプローチとしてこの2セットは共通する。

  テンシュテットは交響曲の「完成」と同時に「崩壊」の過程、双方をマーラーにみて、その均衡と相克を各番に通底して全力で表現せんとしているように感じる。異様な迫力の部分、ゆくりなくも奏でられる美弱音の表情ともに緊迫し奥深い。彼自身、重篤な病気を圧しての足掛け16年の軌跡・・・といったセンティメントよりも、むしろ執念ともいうべき一貫した表現力への挑戦の記録(16のCD全集、5~7番はライヴ版も収録)に価値がある。傾聴すべき遺産と思う。

<収録情報>

【第1番】『巨人』1977年、A 【第2番】『復活』1981年、K、withエディト・マティス(ソプラノ)他 【第3番】1979年、K、with オルトルン・ヴェンケル(コントラルト) 【第4番】1982年、K、with ルチア・ポップ(ソプラノ) 【第5番】(1)1978年、A、(2)1988年、L(ライヴ) 【第6番】(1)『悲劇的』1983年、K、(2)1991年、L(ライヴ) 【第7番】(1)『夜の歌』1980年、A、(2)1993年、L(ライヴ) 【第8番】『千人の交響曲』1986年、ウォルサムストウ・タウン・ホール、ウェストミンスター大聖堂、with エリザベス・コネル(ソプラノ)他 【大地の歌】1982年、A with アグネス・バルツァ(コントラルト)他 【第9番】1979年、A 【第10番】第1楽章『アダージョ』、1978年、A 

 (注)録音場所ーA:アビー・ロード第1スタジオ、K:キングズウェイ・ホール、L:ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

 
♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫

http://shokkou3.blogspot.com/2012/05/blog-post_13.html も参照
 

木曜日, 5月 03, 2012

音楽三昧

Bruckner;Symphony No.3


連休中、過去のブログなどの更新を行っている。上記のアーノンクールのブルックナーの3番はじめ、ブロムシュテットの4番、次に5,7,8,9番についてベイヌムの選集(とても気にいっておりすでに幾度もコメントしてきたもの)、レーグナーの6番、ヨッフムのミサ曲集。ブラームスではフルトヴェングラーの交響曲1~4番(EMI)、ミュンシュ/ボストン響の1番、マーラーでは、ショルティ/シカゴ響の7番。すべて過去のリニューアル、再録である。

一方、ショルティのハイドン後期交響曲(織工Ⅱでコメント)を聴いて一部を加筆した。それがきっかけでハイドンを昨日から連続でまわしている。

(これはまだ書いていないが、)ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカで88番「V字」、95番、101番「時計」を聴いて、改めてこの組み合わせ、只者ではないなと感服する。粒のそろった高密度ととぎれぬ一定の持続力で交響曲全集を録音するなど、やはりハイドン音楽への深い愛なくしては想像できない偉業である。

交響曲の雄が ドラティとすれば、弦楽四重奏曲ではクイケン四重奏団のテーストが気にいっている。これについては若干の感想(織工Ⅱでコメント)を追記した。

さて、交響曲、弦楽四重奏曲とつづくと次はすこし重いものを所望する気分になり、マルケヴィッチでオラトリオ「天地創造」をいま聴いている。

ここまでが連休中盤までの備忘録。

(参考)

◆全体の更新
https://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile
/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&ref_=
cm_aya_pdp_home
◆ドラティのハイドン交響曲全集 
 ◆マルケヴィッチでオラトリオ「天地創造」