日曜日, 12月 18, 2011

ポリーニⅤ




かつて書いた文章を2つ。

 ポリーニのショパン (ソナタ2&3番)
 Chopin/ Sonata for Piano no 2 in B flat minor, B 128/Op. 35 "Funeral March"  : Pollini, Maurizio (Piano)

 ショパンといえば、古くはコクトー、リパッティ、その後ルビンシュタインやホロヴィッツ・・といった古き良き時代は、ポリーニという一人のピアニストの出現とその強い個性によって大きく塗り替えられたと思う。
 僕の時代の旗手とは、グールドであり、アルゲリッチであり、そしてこのポリーニらであるが、特にポリーニは学生時代から良く聴いている。これは当時の友人O君の影響もあり、理工学部在籍の彼は日がな一日、ポリーニをカセットでかけてせっせとリポートを書いていた。「理科系にうける演奏家かな・・」と冗談で言ったこともあるが、いま確実にそこにあり、しかしフラクタルにたゆたう時代感覚を見事に切開し表象できる技能と直観力をもった天才肌の演奏家なのだと思う。そうした意味では、同じイタリア出身のシノーポリにも共通するものを感じる。こうした演奏スタイルを僕は好きである。

http://freizeit-jiyuu.blogspot.com/2006/07/blog-post_29.html


ポリーニ+アバド / ブラームス ピアノ協奏曲第2番

 

 ポリーニ34歳、アバド43歳頃の1976年の録音である。ウイーン・フィルが馥郁たる演奏で応じている。この盤がでる以前、ウイーン・フィルの演奏によるブラームスの2番のピアノ・コンチェルトに関しては、バックハウス+ベームの歴史的な名盤があった。ポリーニ+アバドを起用したプロデューサーはおそらくこれに拮抗するものを求めたのではないか。バックハウス盤は1967年録音。当時、バックハウスは83歳、ベームは73歳頃の演奏である。枯淡を超えて神々しいまでの演奏に対して、ポリーニ、アバドにはいかにも若き挑戦といった緊迫感がある。
 しかし、いつもどおりポリーニの演奏は分析的で曖昧さのないクリアーな解釈である。音は美しく響くが柔なセンチメンタリズムとは無縁、無機質的では決してないけれど音の陰影の付け方はストイックで常に抑制的である。
 アバドは、ポリーニの一音、一音を大切に浮かび上がらせようと細心の注意を払っている。その神経質なまでの配慮が演奏を締め、これがリスナーに伝わり好ましく思われる。ポリーニ+アバドのコンビは余程相性が良いのだろう。その後、ベルリン・フィルでも同曲をライブで取り上げている。しかし、76年版の重みは、ウイーン・フィルがバックハウスにつづく同曲の名盤を約10年振りに若きポリーニによって世に問えたことにあるのではないかと思う。美しくも様々な思いが横溢した名演である。
 ショパン:ポロネーズ集
(参考)

リストマニア 若き日のポリーニ & アルゲリッチ

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