水曜日, 2月 03, 2010

ブルックナー vs クナッパーツブッシュ


Hans Knappertsbusch(1888-1965年) 
1888年、ドイツのエルバーフェルト(現在のブッパルタール)生まれ。実家はベルギー系で工場主(醸造工場)。その後、この都市で、ギュンター・ヴァントやホルスト・シュタインも活動する。 
1908年、アビトゥーアを取得、音楽の道は両親から反対され、ボン(およびミュンヘン)大学にて哲学を専攻、その一方、ケルン音楽院でシュタインバッハに指揮法を学び、いわゆる「二足の草鞋」の生活を送る。第二次大戦前の時代、ベームもウイーンで法律を学んでおり、必ずしも音楽専一でないことは特殊ではないが、この時期、相当な努力家であったことは事実だろう。 
1909年からバイロイト音楽祭でハンス・リヒターの助手を務め3年の修業を行った。若きクナッパーツブッシュは、ブルックナー演奏の泰斗でもあるリヒターから大きな影響を受けたと言われる。1910年以降、ミュールハイム、ボーフム、ケルン、エルバーフェルト等の各劇場に短期ながら在籍した。 
1913年、ミュンヘン大学に学位請求論文「パルジファルおけるクンドリー」を提出。同年9月15日、エルバーフェルトの劇場にてデビュー。その後「パルジファル」、「マイスタージンガー」などで成功を収める。 ライプツィヒ(18~19年)、デッサウ(19~22年)などの歌劇場指揮者(カペルマイスター)に迎えられた。 
1922年、弱冠34才にしてブルーノ・ワルターの後任としてバイエルン国立歌劇場音楽監督に就任。「トリスタンとイゾルデ」を振る。その後SP時代のレコーディングを行い、ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)とハイドンの「オックスフォード」、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのワーグナー集などがある。徐々にナチスとの関係が悪化する。 
1936年、バイエルン国立歌劇場監督を解任(後任はクレメンス・クラウス)。その後、活動の拠点をウィーンに移し1937年以降、ザルツブルク音楽祭にも参加。 
1944年、第2次大戦中最後の公演として、ウィーン国立歌劇場で「神々のたそがれ」を指揮する。 
1945年、終戦後ミュンヘンにて歌劇場再建のためのコンサートで指揮するも、ナチ戦犯嫌疑で翌年末まで活動停止。その後、バンベルグ交響楽団を指揮して活動再開。 
1951年、戦後初のバイロイト音楽祭にて「パルジファル」を演奏。他に、カラヤンとともに「マイスタージンガー」、「指環」を振る。この後、一時を除き1964年までバイロイト音楽祭には参加し、ワーグナー指揮者の名声を得る。 その後の活躍はめざましいものがある。 
1965年、急性の心臓及び循環器不全で逝去。

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 下記はHMVからのリスト。いまは7番、8番(赤字)を中心に聴いている。
 さて、その8番についてだが、どの演奏でも(余程ひどいものでない限り)第4楽章までくれば多かれ少なかれ、さあこれから巨大なコーダに向かって壮大な世界が待っているぞと、演奏者もリスナーも意気込むものだが、実は、クライマックス前、長大な第3楽章のアダージョ(モーツァルトの交響曲1曲分がすっぽりと入る長さ!)こそ、演奏の質を決めると思っている。

 この点でもベートーヴェンの第9番を連想させるが、クナッパーツブッシュの「凄さ」は、この第3楽章を滔々と流しながら、しかし、いかに遅くとも失速感がなく、一方で過度な緊張もしいず、飽きさせずに自然に響かせることにある。

 そこから浮かび上がるのは、なんと良き音楽なのだろうという、作品自身に対する深い満足感である。技術的には、連音符の繰り返しが慎重かつ巧みに処理され、同種テーマの再現でも、局面によって全て表情が違い、肌理の細かい配慮がなされている。その細部に至るまでの表情の「多様性」が、即興的に響くからこそ、魅力を湛えているのだと思う。いままで、桁違いの音楽スケールという点を強調してきたけれど、もう一つの隠れた技倆を、この第3楽章にみる思いである。

(クナッパーツブッシュについて)
http://shokkou3.blogspot.com/2007/12/blog-post.html
http://shokkou3.blogspot.com/2008/03/blog-post_03.html
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http://shokkou3.blogspot.com/2008/06/blog-post_07.html

(簡易リスト/ブルックナー)
ブルックナー / 交響曲第9番、他 クナッパーツブッシュ&バイエルン国立管弦楽団 輸入盤 〔CD〕

・交響曲第9番ニ短調 バイエルン国立管弦楽団 録音:1958年2月1日(ライヴ、モノラル)
・ワーグナー:『神々の黄昏』から管弦楽作品 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1957年10月(ステレオ)

ブルックナー / 交響曲選集 クナッパーツブッシュ&BPO、VPO、他(6CD) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第3番(録音:1954年10月11日) バイエルン国立歌劇場管弦楽団

・交響曲第4番『ロマンティック』(1944年9月8日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第5番(1956年6月) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第7番(1949年8月30日) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第8番(1951年1月8日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第9番(1950年1月28日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ブルックナー / 交響曲第5番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(1959年ライヴ) 国内盤 〔CD〕
・交響曲第5番変ロ長調 WAB.105 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 収録:1959年3月19日 ミュンヘン

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル 1963年 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第8番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1963年1月24日
・シュミット:軽騎兵の歌による変奏曲 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1957年10月20日,

ブルックナー / 交響曲第9番 クナッパーツブッシュ / バイエルン国立管弦楽団(1958) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第9番 バイエルン国立管弦楽団 1958年2月録音

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ / バイエルン国立管弦楽団(1955) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第8番 バイエルン国立管弦楽団 1955年12月録音

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(1963年ライヴ) 国内盤 〔CD〕
・交響曲第8番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 収録:1963年1月24日、ミュンヘン

ブルックナー / 交響曲第3番、第5番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル 1964,59年 輸入
・交響曲第3番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1964年1月16日、ライヴ 
・交響曲第5番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1959年3月19日、ライヴ

ブルックナー / 交響曲第4番『ロマンティック』 クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1955年

ブルックナー / 交響曲第3番『ワーグナー』 クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル(1960) 輸入 ・交響曲第3番 ウィーン・フィルハーモニー 録音時期:1960年2月14日 録音場所:ムジークフェライン大ホール

ブルックナー / 交響曲第8番(VPO、1961)、第9番(BPO、1950) クナッパーツブッシュ

火曜日, 2月 02, 2010

ブルックナー vs ダヴァロス


Bruckner:Symphony No.7 in E [Import] [from UK] ~ Philharmonia Orchestra (アーティスト), Anton Bruckner (作曲), Francesco d' Avalos (指揮)

を聴く。はじめは楽しめて、第3楽章まで、もしかすると、これは掘り出し物かも・・・と期待した。ところが第4楽章に入り、その独特のテンポ・コントロールが実に不自然である。これも「作曲家」たるダヴァロスの拘りなのかも知れないが、可変的なテンポの面白さよりも、音楽の求心力の低下が目立ち、聴き手の感動がセーブされるような処理に映る。いやいや、こここそが新しい解釈ではないかと再度聴くが同じ印象。コーダ近辺の盛り上がりに欠け、楽譜を形式的には正確に処理しているかも知れないが、これでは音楽の躍動感が減殺される。視聴後、その点、どうしても残念な思いが残る。