金曜日, 12月 31, 2010

謹賀新年



2011年 元旦

以下は昨年このブログに書いた記事の一覧です。今年も宜しくお願いします。

サンソン・フランソワ
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クレンペラー 
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ホロヴィッツ
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フルトヴェングラー ブラームス 交響曲第4番 
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マタチッチ/N響 ブルックナー8番 
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チェリビダッケ ブルックナー9番 
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ハイティンク ブルックナー4番 
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アイヒホルン ブルックナー5番 
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スクロヴァチェフスキ ブルックナー第2番 
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アバド ブルックナー1番 
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メータ ブルックナー0番、8番 
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ブーレーズ ブルックナー8番
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バーンスタイン 
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ベーム ブルックナー8番
http://shokkou3.blogspot.com/2010/08/blog-post_28.html
ムラヴィンスキー チャイコフスキー:交響曲第4-6番
http://shokkou3.blogspot.com/2010/08/4-6.html
ブルックナー メモ書き 
http://shokkou3.blogspot.com/2010/08/blog-post.html
CD時代の終焉! 
http://shokkou3.blogspot.com/2010/08/blog-post_07.html
クラシック音楽 聴きはじめ 3 マルケヴィッチ
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カルロス・クライバー 
http://shokkou3.blogspot.com/2010/07/blog-post.html
ショパン ボックス・セット 
http://shokkou3.blogspot.com/2010/06/blog-post_11.html
クラシック音楽 聴きはじめ 2 ミュンシュ
http://shokkou3.blogspot.com/2010/06/blog-post.html
クラシック音楽 聴きはじめ 
http://shokkou3.blogspot.com/2010/05/blog-post_21.html
大指揮者の「先生」
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ベイヌム ブルックナー 
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ベーム ブルックナー8番 
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バーンスタイン マーラー9番 
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ブルックナー 雑感 
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カラヤン エクセレンス!
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ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第9番
http://shokkou3.blogspot.com/2010/04/blog-post_08.html
ブルックナー vs ホルスト・シュタイン
http://shokkou3.blogspot.com/2010/04/vs.html
ブルックナー vs カラヤン 
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織工から http://shokkou3.blogspot.com/2010/04/blog-post_03.html
ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第7番
http://shokkou3.blogspot.com/2010/04/blog-post.html
ブルックナー vs  カラヤン 交響曲第8番(1944年)
http://shokkou3.blogspot.com/2010/03/1944.html
ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第6番
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ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第5番
http://shokkou3.blogspot.com/2010/03/blog-post_28.html
ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第4番
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ブルックナー vs クナッパーツブッシュ
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ブルックナー vs ダヴァロス
http://shokkou3.blogspot.com/2010/02/blog-post.html
ブルックナー vs クレンペラー
http://shokkou3.blogspot.com/2010/01/blog-post_5155.html
ウイーン・フィル 魅惑の名曲
http://shokkou3.blogspot.com/2010/01/blog-post_30.html
ブルックナー vs マタチッチ
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ブルックナー vs  カラヤン
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パーヴォ ヤルヴィ @ ベートーヴェン
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ブルックナー HMVランキング
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土曜日, 12月 25, 2010

サンソン・フランソワ


 サンソン・フランソワ(1924-1970年)の文字通りの集大成である。1970年代、レコードを集中して聴きはじめた頃、フランソワはすでに活動を終えており当初は親近感がなかった。しかし、56年、67年の来日公演があったので日本での知名度は高かった。
 その後、ショパンを聴くようになって、ルビンシュタインとフランソワの演奏には深く心動かされた。はじめにルビンシュタインを聴き、その比較でフランソワに接したが、フランソワの激情に驚きこんなに違うのかと感じた記憶がある。当時、ショパンではこの2人が、一方ドイツ系ではバックハウスとケンプがそれぞれ2大巨匠というのが通り相場だった。

 神童中の神童であり、19才でロン・ティボー国際音楽祭で優勝するが、これでもあまりに遅すぎるデビューと言われた天才肌のピアニスト。46才での逝去は普通なら「これから円熟期」と惜しまれるところだが、この人に限っては、23才のSP録音から20年にわたってすでに下記の膨大なデスコグラフィを残していたのだから驚愕を禁じえない。抜群のテクニックを軽く超越したような奔放、華麗な演奏スタイルはこの時代でしか聴けない大家の風貌である。本価格とボリュームなら文句の言いようのないボックスセット。

<収録内容>
CD1~14:ショパン、CD15~16:ラヴェル、CD17:ラヴェル、フランク、CD18:フランク、フォーレ、CD19:フォーレ、ドビュッシー、CD20~22:ドビュッシー他、CD23:フランソワ、ヒンデミット、CD24: J.S.バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、CD25:ベートーヴェン、シューマン、CD26:シューマン、リスト、CD27:メンデルスゾーン、リスト、CD28:リスト、CD29:プロコフィエフ、バルトーク、スクリャービン、CD30:プロコフィエフ、CD31:(SP録音)ショパン、ラヴェル他、CD32:ブザンソン音楽祭(1956年9月)、モントルー音楽祭(1957年9月17日)他、CD33:ブザンソン音楽祭(1958年9月12日)他、CD34:日本来日公演(東京、1956年12月6日、1967年5月8-9日)、CD35~36:サル・プレイエルリサイタル(1964年1月17、20日)

日曜日, 12月 19, 2010

クレンペラー


◆ブルックナー:交響曲第5番

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA-%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%BC-%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC/dp/B000CSUWQW/ref=cm_cr-mr-title

 クレンペラーのブルックナーは、4番<ウィーン交響楽団、バイエルン放送交響楽団>に加えて4~9番はフィルハーモニア管弦楽団で録音、その他の音源もリリースされており、幸いかなり数多く耳にすることができる。そのなかにあって、本盤の魅力は1968年6月2日ウイーン・フィルとのライブ録音であることである。
 音楽の構築が実に大きく、テンポは遅く安定しており滔々とした大河の流れのような演奏。その一方、細部の音の磨き方にも配慮は行きとどいている。録音のせいもあるかも知れないが、ウイーン・フィルらしい本来の艶やかなサウンドを抑えて前面にださず、むしろ抜群の技倆のアンサンブルを引き立たせている印象。そこからは、ウイーン・フィルがこの巨匠とのライブ演奏に真剣に対峙している緊張感が伝わってくる。
 また、ブルックナーの交響曲の特色である大きな枠組みをリスナーは聴いているうちに自然に体感していくことになる。マーラーが私淑していたブルックナー。そのマーラーから薫陶をうけたクレンペラーだが、マーラーの解釈が、クレンペラーを通じて現代に甦っているのでは・・と連想したくなるような自信にあふれた演奏であり、晩年のクレンペラーの並ぶものなき偉丈夫ぶりに驚かされる貴重な記録である。

◆ブルックナー:交響曲第8番

 1957年6月7日ケルンWDRフンクハウスでの演奏。クレンペラーの8番では、最晩年に近い1970年ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振ったスタジオ録音があるが、こちらは第4楽章で大胆なカットが入っており、それを理由に一般には評判が芳しくない。一方、本盤は遡ること13年前、カットなしのライヴ録音である。


 驚くべき演奏である。巨大な構築力を感じさせ、またゴツゴツとした鋭角的な枠取りが特色で、いわゆる音を徹底的に磨き上げた流麗な演奏とは対極に立つ。また、第3楽章などフレーズの処理でもややクレンペラー流「脚色」の強さを感じる部分もある。小生は日頃、クナッパーツブッシュ、テンシュテットの8番を好むが、このクレンペラー盤は、その「個性的な際だち」では他に例をみないし、弛緩なき集中力では両者に比肩し、第1、第4楽章のスパークする部分のダイナミクスでは、これらを凌いでいるかも知れない。ケルン響は、クレンペラーにとって馴染みの楽団だが、ライヴ特有の強い燃焼度をみせる。「一期一会」ーいまでも日本では語り草になっているマタチッチ/N響の8番に連想がいく。リスナーの好みによるが、小生にとっては8番のライブラリーに最強カードが加わった新たな喜びを感じる。

◆ブルックナー:交響曲第6番 ハース版

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC6%E7%95%AA-%E3%80%90HQCD%E3%80%91-%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%BC-%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC/dp/B002WQ7HRE/ref=cm_cr-mr-title

 オットー・クレンペラーはフルトヴェングラー亡きあと、19世紀「最後の巨匠」との異名をとった人物です。特に、私淑したマーラーやブルックナーなどの演奏では独自のスケールの大きさを示すことでいまも根強いファンがいます。
 6番は、ハース版での演奏です。1964年の録音ですが、その古さを割り引いても大変な名盤だと思います。6番は第1、2楽章にウエイトがかかっていて特に第2楽章のアダージョの美しさが魅力ですが、緩楽章の聴かせ方の巧さはマーラーの9番などに共通します。一方、クレンペラーの照準はむしろ後半にあるように思えます。短いスケルツォをへて一気にフィナーレまで駆け上る緊縮感は他では得難く、ここがクレンペラーの真骨頂でしょう。ハース版が嫌いな方は別として、6番ではいまだ最高レベルの演奏と思っています。

土曜日, 12月 18, 2010

ホロヴィッツ

Horowitz: Complete Recordings [Box set, Import, from US]
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0041O9AW0/ref=cm_pdp_rev_itm_img_1

 20世紀の音楽界は巨匠が覇を競った時代。ピアノ界で若き日から名声を欲しいままにし、かつ晩年も元気に輝いたその1人がホロヴィッツであり、本集は1985~87年(81~83才の時)に、ニューヨーク、モスクワ、ミラノ、ウイーン、ハンブルクで録音されたもの。
 ホロヴィッツがながき沈黙を破って、1965年5月9日カーネギーホールに再デビューしたときの衝撃はいまも忘れていない。過去のピアニストと思っていた巨人がふたたび歩みだした鮮烈な印象だった。
 さて本集では、まずは80才を超えて旺盛に活動する芸術家とは・・・といった「畏敬の念」がまずは必要。次にプログラムとの適合性に注目。下記のとおり、J.S.バッハからモシュコフスキまで10名の作曲家の作品が取り上げられているが、おそらく技巧、体力面から、そしてなによりもっとも共感し得意とする演目を慎重に選んでのことだろう。よって同じ曲がなんども重複して取り上げられている点は注意(【回数】で表示)。
 ホロビッツファンにとっては垂涎のものだろうが、下記のリストはいまにいたるまで最高級の演奏として記憶されるべきものでもある。 

<収録曲>
・J.S.バッハ(ブソーニ編):コラール前奏曲『いざ来たれ、異教徒の救い主よ』
・D.スカルラッティ:ソナタ ロ短調K.87、ホ長調K.135、ホ長調K.380 
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第3,10【2回】,13番【2回】、ロンドニ長調K.485【2回】、アダージョ ロ短調K540
・ショパン:マズルカ(へ短調Op.7-3,イ短調Op.17-4, 嬰ハ短調Op.30-4, ロ短調Op.33-4)、スケルツォ第1番ロ短調Op.20、ポロネーズ第6番『英雄』【2回】
・シューベルト:即興曲(変イ長調D.899-4,変ロ長調D.935-3)、(タウジヒ編):軍隊行進曲変ニ長調D.733-1、(リスト編):ワルツ・カプリース第6番『ウィーンの夜会』【4回】、楽興の時~第3番ヘ短調D780-3【2回】、(リスト編):白鳥の歌~セレナードD957-4、ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D.960【3回】
・シューマン:ノヴェレッテ ヘ長調Op.21-1、クライスレリアーナOp.16、子供の情景Op.15~トロイメライ【3回】
・リスト:コンソレーション第3番変ニ長調、即興曲嬰へ長調、忘れられたワルツ第1番、巡礼の年第2年『イタリア』~ペトラルカのソネット第104番
・ラフマニノフ:前奏曲嬰ト短調Op.32、W.R.のポルカ
・スクリャービン:練習曲(嬰ハ短調Op.2-1【2回】、嬰ニ短調Op.8-2、嬰ニ短調Op.8-12)
・モシュコフスキ:練習曲ヘ長調Op.72-6 、花火Op.36-6【2回】

土曜日, 12月 11, 2010

フルトヴェングラー ブラームス 交響曲第4番














http://www.geocities.jp/furtwanglercdreview/bra4.html によれば、フルトヴェングラーのブラームス4番には、以下の5種類の演奏がある。

1 1943.12.12- BPO PH 
2 1948.10.22 BPO Dahlem 
3 1948.10.24 BPO TP 
4 1949.6.10 BPO Wiesbaden 
5 1950.8.15 VPO Salzburg 

  聴いているのは3であり、TPはティタニア・パラストの略である。かつて以下の感想を書いた。  

1948年10月24日、ティタニア・パラストでの演奏。フルトヴェングラーのブラームスでは、憂愁の深みを表現するうえで、感情移入によるテンポの大胆な緩急などについて多く語られるが、それに加えて、この演奏でのリズムの刻み方の切れ味はどうだろう。  一般に語られる4番のもつブラームスの「人生の秋、枯淡の味わい」といった抒情的な解釈よりも、古典的な造形美を最後まで貫き、絶対音楽のもつ孤高性こそを生涯、変わることなく主張したブラームスの芯の強い本質にフルトヴェングラーは、鉈を振り下ろすような圧倒的にリズミックな隈取りと時に自信に満ちた強大なダイナミクスをもって応えているように思われる。  しかもオーケストラは指揮者の意図を明確に理解し、細心の注意と最大限の集中力をもって臨場している。だからこそ、そこから湧きたつ音楽は、少しの曖昧さもなく説得的であり、深い感興をリスナーに与えることができるのだと思う。ドイツ的な名演という意味は、彼らのもつ「絶対音楽」の伝統を誇りをもって示しうるところにこそあるのかも知れないーーそうしたことをこの類い希な名演はわれわれに教えてくれている。 http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&display=public&sort_by=MostRecentReview&page=7  この1週間くらい、

また全集を取り出して聴いている。かつて毎朝、日が昇らずマイナス20度の寒さに街頭にでる経験をしたが、北ドイツの冬は暗くて実に寒い。同じドイツでもバイエルンなどの南の地方は少しく印象がちがうが、北方の生活者には憂鬱症といつも熟考する思慮深さ、そして厳しい環境、困難に負けない強い意志などがない交ぜになっているように感じることがある。よくブラームスを聴きながら通勤したが、これぞ風景と一体の感興があった。  この4番は、交響曲作曲家として満を持しての決意表明たる1番、比較的温暖で明るい2番をへて、叙情性のもっとも良くでた3番ののち、晩年の集大成としての作品だが、ウイーンでの名声や華やかな生活の影響などどこにも感じられず、原点回帰、ブラームスの心象風景たる北ドイツの冬の寂寥感を強く意識させる。  フルトヴェングラーの演奏は、その寂寥たる雰囲気を保ちながらも、その一方、上に記したように北方ドイツ人の強靭な意志をより印象づける。大胆なリズミックさとどこまでも底知れず沈降していく深みの感覚、テンポのたくまぬ可変性、フレージングの自由な処理、そして全体から受ける孤独に耐える知性的な闘争心。こういう演奏は他にない。

土曜日, 11月 27, 2010

マタチッチ/N響 ブルックナー8番


1984年3月7日,NHKホールでのコンサート・ライヴ。全曲74分13秒

 有名なN響とのライヴである。本当に久しぶりに聴く。まずもって驚かされるのはN響の緊張感あふれる応対で、第1楽章から管楽器も実力を思いっきり発揮すべく、奮戦の気構えで臨場している様が伝わってくる。
 マタチッチの音楽づくりは、いつもどおり隈取りくっきり、リズムも小刻み、よく切れる包丁でザクザクと刃をいれていく印象ながら、その切り口はけっして大雑把ではない。否、細部に神経の行き届いた、それでいて生き生きとした溌剌さを失わせない統率力こそその持ち味だろう。名シェフといった趣である。

 かつ、ハイテンションの気迫が最後まで衰えない。演奏がすすむほど熱気が籠もってくる感じで、こういうライブに居合わせたら、聴衆は徐々に「金縛り」の状況になっても不思議はない。
 全般にテンポは早く、第3楽章も一気に駆け抜ける爽快感があり、そのため弦、木管の叙情性あふれる表情は抑えられているように感じる。
 

土曜日, 10月 30, 2010

チェリビダッケ ブルックナー9番


 チェリビダッケのブルックナー交響曲第9番の録音は、少なくとも以下の3つが入手可能である。
1.録音:1969年5月2日 トリノRAI交響楽団 
2.録音:1974年4月5日 シュトゥットガルト、リーダーハレ[ステレオ] 
3.録音:1995年9月10日 ミュンヘン・フィル(ライヴ) 

いま聴いているのは、2であるが、重厚かつ真に厳しい感性が伝わってくる。特に終楽章の充実ぶりには舌を巻く。ここまで高密度で内的な力の籠もった演奏ができるということは、偶然ではありえない。いかに、チェリビダッケがこの曲を自家薬籠中のものとしていたか、「驚異的」という言葉を思いつく。

ハイティンク ブルックナー4番


 ぼくは、コンセルトヘボウのブルックナーではベイヌムの演奏が好きだ。ヨッフムも5番などは独壇場。さて、その後任のハイティンクは、一所懸命、先人の背中を追いながら、なかなかその距離が縮まらないと思ってきた。そのうち、代替わりがあってシャイーがでてきた。シャイーはジュリーニばりに音楽を柔らかく包括的にとらえ、他方、その音を磨き込み、先人とは違うアプローチでブルックナー演奏でも存在感を示した。

 さて、そのハイティンクの4番。オーケストラはウイーン・フィル。1985年の録音。聴いていて、素直にいいなと思える演奏である。ハイティンク、会心の出来ではないか。不慮の水死を遂げたケルテスも、ウイーン・フィルとはブラームスで立派な業績を残しているけれど、この狷介で、ときにじゃじゃ馬的な天下の名門オケは興が乗れば、凄い演奏をする。ブルックナーの4番では、ベームの秀演があるけれど、ハイティンクは、ベームには届かないものの、それ以来の録音を残したと言っても良いかも知れない。

金曜日, 10月 29, 2010

アイヒホルン ブルックナー5番


 アイヒホルンがバイエルンを振って、聖フローリアン教会でライヴ収録した5番。1990年の演奏だから晩年に近い記録だが、生き生きとした息吹は「老い」というより「老練」という言葉を惹起させる。解説書を読まずにまずは耳を傾ける。もしも、ブラインドで、オーケストラだけ知らせて、「さあ指揮者は誰?」と問えば、ヴァントかな・・・?否、ヨッフムではないか・・・?といった回答が多いのではないかと思う。

 端整、オーソドックスな解釈で、第1楽章の充実ぶりに特色があり、4楽章全体の力の入れ方のバランスが実に良い。その一方、第4楽章は引っぱるところは思いっきり伸ばし、残響豊かにブルックナー・サウンドを展開する。小刻みにアッチェレランドやリタルダンドも駆使する場面もあるけれどそう不自然さは感じない。テンポに関して小生の好みから言えば、いささか遅すぎ、ときに緊張感を削ぐけれど、実演に接しているリスナーには別の感動があったのかも知れない。

 アイヒホルンもブルックナー指揮者の一角をしめ、リンツ・ブルックナー管弦楽団との諸作品が残されているが、ヴァント、朝比奈隆らとともに晩年、特にその動静が注目された。「早起きは三文の得」をもじって、ブルックナー演奏に関しては、「長生きは指揮者冥利」とでもいうべきか。ヴァントはベルリン・フィルを、朝比奈はシカゴ響を、そしてアイヒホルンはこのバイエルンを振って話題を集めた。老いの一徹がなぜかブルックナーには良く合うのが不思議ではある。

(参考)以下はウィキペディアの引用
クルト・ペーター・アイヒホルン(Kurt Peter Eichhorn, *1908年8月4日 ミュンヘン - †1994年6月29日 ムルナウ)はドイツの指揮者。ヴュルツブルクで音楽教育を受け、1945年からミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン国立歌劇場、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務めるかたわら、ミュンヘン音楽アカデミーで教鞭を執る。リンツ・ブルックナー管弦楽団の桂冠指揮者に任ぜられて、日本のカメラータ・レーベルにブルックナーの《交響曲第2番》ならびに《第5番》から《第9番》までを録音した。これらの音源はいずれも、ギュンター・ヴァントの解釈に匹敵するものとして批評筋から評価が高い。また、《第9番》の第4楽章補作版を録音している。また、音楽監督をつとめたミュンヘン・ゲルトナープラッツ劇場を拠点に長年オペレッタやオペラを指揮。数点のオペレッタ録音では、青年期にここで修行したC・クライバーを連想させる推進力に満ちた指揮ぶりを残している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%B3

スクロヴァチェフスキ ブルックナー第2番


 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団の演奏。ジャケットは全集で本盤とは別、ここで取り上げるのは交響曲第2番(1877年、第2稿)。1999年の録音、基本的にはライヴ盤だが、部分的には微調整がなされ、その後の編集で修正されているようだ。
 ブルックナー愛好家の特色は、一種の判官贔屓(レパートリーの広い大家よりもブルックナーに「強い」指揮者を好む)、来日演奏家への敬意(もちろん、いわゆる「畢生の演奏」をやった人)、高齢者尊重といった傾向がある。この3要素をスタニスラフ・スクロヴァチェフスキは見事に満たしている。
 聴いていて、根強いファンがいる理由がよくわかる。きめ細かい周到な解釈、オーケストラを縦横にコントロールして渋い良さを引き出す、76才のブルックネリアーナ指揮者としての充実した演奏。かつてのマタチッチ、レーグナーなどの系譜を継いで、スクロヴァチェフスキも訪日時に多くファンに親しまれている。
 この2番も良い演奏である。アクがない素直さが持ち味。難を言えば淡泊すぎて突出した個性が乏しいことだろうか。レーダーチャートで分析すれば、どの要素も平均をはるかに超えるが、ここが一番といったところが際だたない。しかし、そうした演奏スタイルがあってもよいと思う。同じ2番でショルティ盤と聴き比べる。キュッキュと締めた演奏のショルティに対して、オーケストラを無理なく緩めにコントロールしているスクロヴァチェフスキの姿が浮かび上がる。どちらの行き方もあるのだろうし何が好ましいかは聴き手の心象次第とも言える。


(参考)以下はウィキペディアからの引用
スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ(Stanisław Skrowaczewski, 1923年10月3日 -)は、ポーランド出身の指揮者、作曲家。ファースト・ネームは日本では「スタニスラフ」と表記されることが多い。名前が長く読みにくい為、欧米では略してMr.Sとも呼ばれる。彫琢された細部の積み重ねからスケールの大きい音楽を形成する独特の指揮で定評がある。作曲家としての活動も活発で、世界的評価がある。

ポーランドのルヴフ(現ウクライナ)生まれ。4歳でピアノとヴァイオリンを始め、7歳でオーケストラのための作品を作曲したという。11歳でピアニストとしてリサイタルを開き、13歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾き振りするなど、神童ぶりを発揮した。しかし、第二次世界大戦中の1941年、ドイツ軍の空襲によって自宅の壁が崩れて手を負傷したため、ピアニストの道を断念。以後、作曲と指揮に専念するようになる。
1946年、ブロツワフ・フィルハーモニー管弦楽団指揮者。
1949年、カトヴィツェ・フィルハーモニー管弦楽団指揮者。
1954年、クラクフ・フィルハーモニー管弦楽団指揮者。
1956年、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団音楽監督。同年、ローマの国際指揮者コンクールに優勝。
1958年、ジョージ・セルから招かれて渡米、クリーブランド管弦楽団を指揮してアメリカデビューを果たす。
1960年-1979年、ミネアポリス交響楽団(現ミネソタ管弦楽団)音楽監督。現在桂冠指揮者。
1984年-1991年、イギリスのハレ管弦楽団(マンチェスター)首席指揮者。
1994年からザールブリュッケン放送交響楽団(現ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団)首席客演指揮者。
2007年4月、読売日本交響楽団常任指揮者(~2010年3月〔2010年4月から桂冠名誉指揮者〕)。

もともと実力派の指揮者として好事家の支持を受けていた。1960・70年代のミネアポリス交響楽団音楽監督時代には、マーキュリー・レーベルに大量の録音を行い、同レーベルの録音の優秀さとともに注目を集めていた。1990年代以降、ザールブリュッケン放送交響楽団とのブルックナーの交響曲全集録音でカンヌ・クラシック賞及びマーラー・ブルックナー協会の金メダルを受賞し、ウィーンではトーンキュンストラー管弦楽団などを指揮し、日本でも一躍知られるようになった。ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、フランス国立管弦楽団、ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団など世界各地の歌劇場・オーケストラに客演している。日本では、NHK交響楽団と読売日本交響楽団、さらに札幌交響楽団に客演している。
録音も多く、そのどれもが水準が高いが、とりわけ、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、ショスタコーヴィチの演奏は名盤とされる。現在アメリカ・ミネアポリス市在住。

【作曲家としての活動】
戦後の1947年にフランス大使館の奨学金を受けて2年間パリに滞在、ナディア・ブーランジェやアルチュール・オネゲルに作曲を師事した。パリ滞在中に、「ゾディアク」という前衛グループを設立した。世代的にはルトスワフスキとペンデレツキの中間のポーランド楽派における繋ぎ役とされる。
20世紀を代表する作曲家ピエール・ブーレーズ、ルイジ・ノーノ、カールハインツ・シュトックハウゼンらとの交流がある。しかし、最も強い影響を受けたのは、ブルックナーという
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD

水曜日, 10月 27, 2010

アバド ブルックナー1番

 
 1996年1月ウイーンでのライヴ・レコーディング。ノヴァーク1866年リンツ稿での録音。なんとも白熱の演奏である。ウイーン・フィルは実に巧い。「ブルックナーってこんなに面白かったのか」といった新たな発見があるかも知れない。
 しかし、これは何度も聴くには問題がある。フレーズの終わりに奇妙な装飾的処理があり、はじめは新鮮、驚きをもって惹きつけられるが、繰り返し聴くとこの部分の作為性がいささかならず鼻につく。

 CD付録の解説書が参考になる。ヨッフム、ノイマンそして、カラヤンらに比べて、アーティキュレーション(※1)の技法に工夫があり、「アバドはアーティキュレーションのあり方を、音楽の進行(未来)に対して千変万化させる。それによって生まれる音楽の息づき方は、かつて出会ったことのないしなやかさを獲得する」と賛美、分析される。この指摘は聴いていて得心できる。しかし、それをもって、カラヤン(でなくとも良いのだが)の手法にくらべて、ポリフォニーが個々の楽器ごとに際だつことが、ブルックナー解釈の新たな行き方だとするのはどうかなと思う。

 アバドを聴きおわったあと、比較の対象になっているカラヤンの1番を聴く。果たしてどちらが、長期、反復的なリスニングに耐えうるのか・・・。ぼくは、明らかにカラヤン盤であると思う。サラリと処理し、全集のための消化試合といった穿った見方もあるが、完璧主義者で、あれだけ音楽に拘りのあるカラヤンが、大切なブルックナーでそんな安易な対応をするはずはない。録音の計算も周到だ。カラヤン盤は、はじめ聴くとパンチ力に欠ける印象があるだろう。弦楽器のアンサンブルが前にでて、木管のメロディの浮き彫りがこれに重なり、金管は距離をおいて抑制されたバランスで響く。アバド盤のように、金管は熱く目眩るめく鳴ってくれ!というリスナーの要望は少しく裏切られるだろう。しかし、このある意味、禁欲的なブルックナーは、硬質な初期ブルックナーらしさ(といっても何度も改訂をしているのでいわゆる「初々しさ」とは別物だが)が看取できる。なるほど、楽譜に忠実とは、安易な技巧を労さず、音楽の自然の流れを尊重することなのだなと感じる。だから反復して聴くとスーッと入ってくる。カラヤン嫌いは、この処理そのものが問題だとするのだろうが、それはさておく。

 アバド盤の熱気は若きブルックナーファンには受けるかも知れない。しかし、俗に言う、おもちゃ箱をひっくりかえしたような矢継ぎ早の個々の楽器パートの次から次へとフレーズのバトンタッチの強調は、4Dオーディオといった録音技術で一層倍加され、面白いけれどもブルックナーが本来、伝えたかったであろう素朴なメッセージを背後に隠してしまうように思える。ぼくには、地味な作家の本を派手な装丁で売っているような違和感がある。

 いわゆる初期ブルックナーでも、0番のショルティ、2番のジュリーニは、流列を尊重し、一定の抑制を効かせた、したたかな巧者であると思う。また、1番ではノイマンの駘蕩とした見事な自然さはやはり心地よい。でも、アバド盤、この白熱さをかって、これもまたありかなと今日は言っておこうか。多様性の重視、あくまでも好みの問題かも知れないし・・・。
http://shokkou3.blogspot.com/2008/05/1-19651213-14berlin-classics-0094662bc.html

(※1)アーティキュレーション(articulation)とは、音楽の演奏技法において、音の形を整え、音や音のつながりに様々な強弱や表情をつけることで旋律などを区分すること。
 フレーズより短い単位で使われることが多い。スラー、スタッカート、アクセントなどの記号やそれによる表現のことを指すこともある。アーティキュレーションの付けかたによって音のつながりに異なる意味を与え、異なる表現をすることができる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3_(%E9%9F%B3%E6%A5%BD)

金曜日, 10月 22, 2010

メータ ブルックナー0番、8番

 
 メータをはじめて聴いたのは16才の時、1969年、ロスアンジェルス・フィルとの来日演奏会だった。2夜聴いたが、9月7日に、ベートーヴェン/エグモント序曲、ストラヴィンスキー/ペトルーシュカ、ブラームス/交響曲第1番、 9月10日は、アルベニス/イベリア、セビリアの聖体祭~トリアーナ~ナバーラ、クラフト/4人の打楽器奏者と管弦楽の為の協奏曲、チャイコフスキー/交響曲第4番(いずれも東京文化会館)というラインナップであった。
 その頃、写真の「ツァラトゥストラはかく語りき」が話題となっていた。溌剌たる精気、猛進の迫力がくっきりとでており、若き獅子のイメージどおりであった。
 忘れられないのは9月7日の公演前で、文化会館の2階に早く食事をするために上がったら(当時は、ここでハヤシライスを食べるのが楽しみだった!) 、メータも正装した団員とともに腹ごしらえをしていたことである。そのフランクさというか、リラックスぶりに驚いた。当時メータは33才、写真のとおりの若さ、エネルギッシュという言葉そのものであったろう。

 さて、ブルックナーである。イスラエル・フィルを振った2曲を聴く。
<DISK1>交響曲第8番ハ短調(1890年稿 ノヴァーク版)第1~3楽章
<DISK2> 同第4楽章、交響曲第0番ニ短調(1869年稿 ノヴァーク版)
いずれも1989年の録音である。メータ53才頃の演奏である。このCD付録の解説書を読むと、評者はどうも戸惑っているようで、そのブルックナー解釈について「確たる芯の欠陥を見ることも可能」といった表現をポロッとしている。前後ではいろいろと糊塗した言い方もしているが、これはどう考えても褒めていない。珍しいことではある。メータのブルックナーは、ほかにウイーン・フィルとの9番やテデウムもあるが、こちらも一般に評価は芳しくない。


 予断を廃して聴くが、まず感じるのはいかにも「大味」だということである。録音、あるいはオケのせいかも知れないが全体にメリハリの乏しい茫洋、淡々とした演奏。メータは、チェリビダッケを大変尊敬していて、特にその速度感について、「あそこまで遅くして崩れないのは驚異」といった発言をしていたはずだが、メータ盤のテンポはそう遅くない。
 8番については、下記のブーレーズ/ウイーン・フィルの巧みすぎるようなポリフォニー解析に感心した直後に聴いたこともあって、余計に感じたかも知れないが、よく言えば鷹揚、悪く言えば音楽の細部に神経が通っていない印象である。0番はまあ、程良くアクセントをつけて指揮者の技倆で乗り切っているが、各指揮者、渾身の8番では、切れ味のよいメータらしくない不思議な解釈である。好きな指揮者であるがゆえに誠に残念!
 あえて想像を逞しくすれば、チェリビダッケ的ではなく、晩年のカラヤン的な雰囲気を参考とした節がある。しかし、細密画をさらに入念にチェックするような晩年のカラヤン(ぼくはあまり好きではない)に対して、メータはむしろ非統制的な運行、いわば大仰さを強調したかったのかも知れないが、その試みは巧くいっていない。バレンボイム/ベルリン・フィル盤とともに再度、手に取ることに逡巡するものである。

日曜日, 10月 17, 2010

ブーレーズ ブルックナー8番

 ブルックナー没後100年記念として1996年9月、ザンクト・フローリアン教会でのウイーン・フィルとのライヴ録音。ハース版による演奏。なぜ、この記念すべきコンサートにブーレーズが起用されたのかどうかはわからないが、それまでブーレーズがブルックナーを振った音源が一般に知られておらず、その話題性は十分だった。
 ブーレーズは周到に準備をしたと思う。驚くべき解析力であり、さすがにスコアを読み尽くし音楽を再構成するという、自身も現代音楽の代表的な作曲家であるブーレーズならではアプローチの演奏である。
 残響効果も巧みに計算に入れて全体構成を考えており、ウイーン・フィルの持ち前の木管楽器の世界最高水準の美しさは絶品。その分、金管の咆哮はかなり抑え気味で(実際の臨場感は別、こちらは録音テクニックかも知れないが)、全体のバランス感が見事に統御されている。

 アゴーギクなどは抑制されほとんど感じないレベル、いわゆる「激情型」とは無縁の理知的な運行ながら、しかしクールな計算だけでない、音楽へのブーレーズ流の渾身の「入れ込み」は確実に伝わってくる。特に、テンポの微妙な変化と休止ごとに刻み込むようなフレーズの融合、シンクロナイズが絶妙で、長い楽章も局所変化が多様でまったく飽きさせない。ブルックナーでもこうした「知的」演奏スタイルは実に有効といった見本のような演奏。恐れ入って聴いた。

月曜日, 10月 04, 2010

バーンスタイン

 
 バーンスタインの集大成がダンピングで出てきた。なんと60CDの全集である。しかも1万円以下で入手可能というのだから、オールド世代にとっては驚きを超えて切なくなる。古い感傷だろう。時代の変化が押し寄せているのだから、新たなリスナーにとっては大きな福音であると積極的に捉えれば良い。


織工Ⅲ拾遺集を参照→
http://shokkou.blog53.fc2.com/blog-entry-183.html

 
さて、オールド世代にとって、バーンスタインは気さくなスーパースターだった。1970年、東京文化会館でマーラーの9番をライブで聴いた。当時、コンサートがはねた後、文化会館の楽屋口で待っていると運がよければサインをもらえた。当夜(1970.9.7)、バーンスタインはとても疲れていたろうが一高校生に笑顔でサインをしてくれた。帝王カラヤンではあり得ないことだった。40年たったいまもぼくの貴重な財産である。 

 作曲家としてのバーンスタインは、フルトヴェングラー、ブーレーズなどと違い若き日から最高の栄誉を得ていた。創造性の高い、しかし誰でもが親しめる人々の心を鷲掴みにする時代の子であった。

(作品集、下記サイトからの引用)
交響曲
第1番『エレミア』 (Symphony No.1 "Jeremiah") (1942年)
第2番『不安の時代』(ピアノと管弦楽のための) (Symphony No.2 "The age of anxiety") (1947年-1949年/1965年改訂)
第3番『カディッシュ』(管弦楽、混声合唱、少年合唱、話者とソプラノ独唱のための) (Symphony No.3 "Kaddish") (1963年/1977年改訂)
バレエ『ファンシー・フリー』 (Fancy Free) (1944年)
ミュージカル『オン・ザ・タウン』 (On the Town) (1944年初演)
ミュージカル『ウエスト・サイド物語』 (West Side Story) (1957年初演)
ミュージカル『キャンディード』 (Candide) (1956年初演/1989年最終改訂)
オペラ『タヒチ島の騒動』 (Trouble in Tahiti) (1952年)
この作品は後年に大幅な拡大改訂が施され、オペラ『静かな場所』 (A Quiet Place)となった。(1983年)
クラリネット・ソナタ (Sonata for Clarinet and Piano) (1942年)
5つの子供の歌『私は音楽が嫌い』 (I Hate Music) (1943年)
合唱曲『チチェスター詩篇』 (Chichester Psalms) (1965年)
歌手と演奏家、踊り手のためのミサ曲 (Mass - A theatre piece for singers, dancers, and players) (1971年)
合唱曲『ソングフェスト』 (Songfest) (1977年)
前奏曲、フーガとリフ (Prelude, fugue and riffs) (1949年/1952年改訂)
映画『波止場』 (On the Waterfront)の音楽 (1954年)
セレナード (Serenade) (1954年)
バレエ『ディバック』 (Dybbuk) (1974年)
オーケストラのためのディヴェルティメント (Divertimento for Orchestra) (1980年)
ハリル (Halil) (1981年)
ピアノ曲『タッチズ』(コラール、8つの変奏とフーガ) (Touches - Chorale, Eight Variations and Coda) (1981年)
アリアとバルカロール(メゾ・ソプラノ、バリトンと4手ピアノのための) (Arias and Barcarolles) (1988年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
 
クラシックとそれ以外のジャンルの垣根を自然に跳び越えるスケール感も特色である。グルダはじめ後進は、バーンスタインが切り開いた道を歩み、ゆえなきクラシック高踏主義を砕いた。

レパートリーの広さも他を圧していた。カラヤンと双璧とも言われたが、オペラではカラヤンが圧倒的ながらそれ以外の領域ではバーンスタインのほうがはるかに広範だとも言えよう。
 小澤征爾、クラウディオ・アバド、ズデニェク・コシュラーはじめ若き指揮者の育成にも熱心であり、青少年のためのコンサート(これはTVで結構見た)などの語り口も絶妙で時代を風靡した。この点でも小澤征爾に与えた影響は大きい。

(参考)
バーンスタインのマーラー交響曲全集についてⅠ →
●マーラー交響曲全集/バーンスタインで聴く●
http://www.amazon.co.jp/%E2%97%8F%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E5%85%A8%E9%9B%86-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A7%E8%81%B4%E3%81%8F%E2%97%8F/lm/R112W54MQESJCJ/ref=cm_lmt_dtpa_f_2_rdssss2

バーンスタインのマーラー交響曲全集についてⅡ→
バーンスタイン壮年期の熱きマーラー解釈
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1JYGYMKS38Z14/ref=cm_cr_othr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B005SJIP1E

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作曲家バーンスタインの交響曲を聴く
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RO0TT2UP1PR7H/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B0056K4VEK

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今日は バーンスタイン!
https://shokkou3.blogspot.com/search?q=%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3+

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ウィーン・フィル VS ニューヨーク・フィル 創設175周年記念
https://shokkou3.blogspot.com/2017/04/175.html
 

土曜日, 8月 28, 2010

ベーム ブルックナー8番

 ベームのブルックナー交響曲第8番、終楽章。これは実に見事な演奏である。ブルックナーは当初、この交響曲を自信をもって書いた。しかし、ブルックナーを取り巻くシンパはこの作品について厳しい評価をした。7番は成功した。そのわかりやすさ、ボリューム感からみると、8番は晦渋であり、なんとも長い。ブルックナー使徒達は、8番での評価の低下を懼れて、いろいろとブルックナーに意見をした。ブルックナーは深刻に悩み自殺も考えたと言われる。悩みは続き、9番が未完に終わったのも、この桎梏からブルックナー自身が脱けられなかったからかも知れない。
 さて、ベームの演奏が見事なのは、ブルックナーの当初の「自信」に共感し、それを最大限、表現しようとしているからではないかと感じる。もちろん8番の名演はベームに限らない。このブログでも繰り返し取り上げてきたように、クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラー、シューリヒト、クレンペラー、ヨッフム、チェリビダッケ、ヴァント、初期のカラヤンなど大家の名演が目白押しであり、どれが最も優れているかといった設問自体がナンセンスとすら思う。皆、このブルックナー最後の第4楽章に重要な意味を見いだし、魂魄の演奏をぶつけてきており火花が散るような割拠ぶりである。
 ベームの演奏は、そうしたなかにあってベームらしい「オーソドックス」さが売りかも知れない。テンポは一定、ダイナミズムの振幅は大きくとり、重厚かつノーミスの緻密さを誇る。しかし、それゆえに、「素材」の良さをもっとも素直に表出しているように思う。飽きがこない、何度も聴きたくなるしっかりとした構築力ある演奏。いまはこれに嵌っている。

(参考)ブルックナー交響曲第8番第4楽章
Finale. Feierlich, nicht schnell  ハ短調、2/2拍子。ソナタ形式。
 弦五部が前打音つきの4分音符を連打する中から、第1主題が金管のコラールと、トランペットのファンファーレで奏でられる。コラールのようなこの第1主題は、ブルックナー自身によれば「オルミュッツにおける皇帝陛下とツァーリの会見」を描いたものであり、「弦楽器はコサックの進軍、金管楽器は軍楽隊、トランペットは皇帝陛下とツァールが会見する時のファンファーレを示す」。

休止が置かれ、弦楽器を主体とする第2主題が変イ長調で始まる。その途中(第93小節以後)から、交響曲第7番で用いられたモチーフが取り入れられる。

第3主題は変ホ短調のジグザグとした旋律でこの主題には nicht gebunden (音をつながずに)という標語もある。

第3主題が休止で中断すると、159小節からホ長調のコラールが入る。すぐに第1主題の荒々しい行進曲「死の行進」が入る。この後ソナタ形式の展開部に入るが、ほとんど第3主題と第1主題の交替で進む。

再現部は第437小節から始まり、第2主題は第547小節から、第3主題がハ短調で再現される。これは短く、すぐに第1楽章の第1主題が第617小節から全合奏で再現される。再び第3主題のリズムと交代しながら、コーダへと移行する。

コーダは第647小節から始まる。第1・第2ヴァイオリンが上昇音型を始め、テノールチューバが荘重さを強める。まず最初に、第679小節からホルンによって第2楽章のスケルツォ主題が戻ってくる。やがてハ長調で、全4楽章の4つの主題の音形が重ね合わされる。第1楽章の主題はファゴット、第3・第4ホルン、トロンボーン、ヴィオラ、コントラバス、バス・チューバが、第2楽章の主題はフルート・クラリネット・第1トランペット、第3楽章の主題はヴァイオリンと第1・第2ホルンが、そして第4楽章の主題要素は第1楽章のものと織り合わされて、全曲を力強く締めくくる。これが「闇に対する光の完全な勝利」と称賛されるゆえんである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC)#.E7.AC.AC4.E6.A5.BD.E7.AB.A0

土曜日, 8月 21, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ 12 ムラヴィンスキー

 
レニングラード・フィルは、日本にEXPO’70で来演したが、残念ながらこの時はヤンソンスの代演となった。しかし、それですら衝撃的で言葉を失った鮮烈な記憶がある。オケのメンバーはステージ上、誰も無駄話などしない。皆がソリストのような緊張感にあふれ、彼らの合奏は、よく訓練された軍隊の一糸乱れぬ閲兵式を彷彿とさせるものであった。そして、数年後、今後はムラヴィンスキーご本人で、さらに強烈なライヴ体験を味わった。 

ムラヴィンスキーは旧ソビエト連邦時代、全ソビエト指揮者コンクールで優勝、直ちに当時同国最高のレニングラード・フィル(現在のサンクトペテルブルク)の常任となる。1938年、時に35才の俊英であった。  
本盤所収の録音は、4番(1960年9月14~15日、ロンドン、ウェンブリー・タウンホール)、5番(同年11月7~9日、ウィーン、ムジークフェラインザール)、6番(同年11月9~10日、5番と同じ)であり、この「幻の」指揮者とオケの実質、西欧デビュー盤である。 これぞチャイコフスキー本国の正統的な解釈の演奏というのが当時のふれこみであったろうが、実際は、そんな生易しいものではなく、冷戦時代の旧ソ連邦の実力を強烈に印象づける最高度の名演である。  
十八番の名演といった表面的なことでなく、この時代、このメンバーでしかなしえない、極度の緊張感と強力な合奏力を背景とした、比類なきチャイコフスキー演奏といってよいだろう。4、5、6番ともに通底する一貫した解釈と各番の性格の違いの明確な浮き彫りにこそ、本盤の特色がある。  録音は半世紀前であり、いまのレヴェルでは物足りないだろうが、それを上回る往時の覇気がある。歴史的名盤である。


日曜日, 8月 08, 2010

ブルックナー メモ書き

http://www.hmv.co.jp/product/detail/217761

 shokkouブログではユニーク・ジャケットの<拾遺集>を取り上げました。ブルックナーのCDジャケットは、作曲家の肖像、教会など地味なものが多く、ハッとする、あまり目をひくものがないのですが、ちょっと茶目っ気の滲むものもあり、楽しめると思います。
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1834533.html

 上記の「女性入り」はブルックナー系では珍しいのですが、これはジャケットではなく演奏そのものがユニークなので掲載しました。

 ブルックナー・ブログは「夏バージョン」ということで、<自然系>のジャケットを並べてみました。虹のかけ橋も、夏にふさわしいのでは・・・。どうぞあわせてご覧下さい。
 さて、最近は・・・。alneoにベームを入れて、携帯して聴いています。

ベーム→
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1305.entry?&_c02_owner=1

<自然系>
http://shokkou.spaces.live.com/default.aspx?&_c02_owner=1&wa=wsignin1.0&sa=39283556


【HMV レビュー】 (以下は引用)
ブルックナー:交響曲第7番 室内アンサンブル版  リノス・アンサンブル

 1999年デジタル録音。シェーンベルクがウィーンで主宰した「私的室内楽協会」コンサートのための編曲リストの中に、ブルックナーの交響曲第7番が存在することは以前から知られていましたが、1921年夏の初演以降、取り上げられた記録はなぜかまったくなく、このCDに収められた演奏が80年ぶりの蘇演となるのは少し意外な気もします。
 交響曲第7番は、ブルックナーの交響作品の中では珍しく初演から成功し、当時から比較的ポピュラーな人気を獲得していたもので、ヨハン・シュトラウの編曲などで知られていた私的室内楽協会が、編曲の対象に選んだとしても不思議はありません。
 この室内楽版は、クラリネット、ホルン、ハーモニウム、ピアノ、弦楽四重奏、コントラバスの9人編成を採っています。編曲の実作業はシェーンベルク門下の3人が分担しておこなったとのこと。ハンス・アイスラーが第1楽章と第3楽章、エルヴィン・シュタインが第2楽章、カール・ランクルが第4楽章をそれぞれ担当していますが、音を聞く限りそれぞれ編曲者が違うという感じはあまりしません。おそらくスコアリングの綿密な打ち合わせが当事者間でおこなわれていたのでしょう。
 新ウィーン楽派の面々によるブルックナー観が、この編曲を通して見えてくるのは間違いありません。ブルックナーの作品はよく「オルガン的」と言われ、実際、オルガンによる演奏もリリースされているのですが、この編曲ではむしろその「オルガン臭」が排除されているのが印象的です。ハーモニウムやピアノも、足りない声部の単なる補強ではなく、音色パレット上の一構成要素として作用し、色彩の変化が元のオーケストラ版よりも強くなっているのがポイントとなっています。
 第7番はブルックナーの交響曲の中では最も親しみやすい旋律美を持つ作品ですが、前半2楽章の重さに較べ、後半2楽章、というよりも第4楽章がフル・オーケストラで聴くとアンバランスなほど軽い感じがしていたことも確か。が、このヴァージョンで接するとそうした問題が解消され、一貫したムードが保たれているように聴こえるのが面白いところです。
 室内楽版ならではの自発的アンサンブルや、自由でのびやかな歌いまわしが楽しめるのもこのヴァージョンの魅力のひとつ。
 名手揃いのドイツのグループ、リノス・アンサンブルはその利点を最大限に生かしており、大オーケストラによる演奏ではマスクされてしまいがちな対旋律や経過句を明瞭かつ立体的に響かせることに成功していて、作品の構造面への興味を抱かせる効果も十分といったところです。たいへん優れた編曲作品の登場と言えるでしょう。  

土曜日, 8月 07, 2010

CD時代の終焉!

 もはやCD価格は存在しなくなったともいえる時代であろうか。上記の25枚の全集などは、なお真っ当な?値段がついているほうだが、HMVでの安売りは尋常ではない。1枚100円程度のボックスセットがどんどんでており、単品で買うよりも破格に安いという現象が怒濤のように押し寄せている。
http://shokkou.blog53.fc2.com/

金曜日, 7月 09, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ 3 マルケヴィッチ

 
身近にいると、あたりまえに思えて、客観的な評価ができず、その実力を過小評価する。逆に、遠く離れているがゆえに、知らずに理想化し、崇敬するといった陥穽もある。  
現代のグローバル化時代、IT時代なら、各種評価が即時に飛び交うが、約40年前、クラシック音楽界での来日演奏家の評価は、「情報の非対称性」から上記の傾向があり、その一例がイーゴリ・マルケヴィッチではなかったかと思う。

 当時、この指揮者とNHK交響楽団の名演を、いまは喪われた日比谷の旧NHKホールで聴いた。NHKシンフォニーホールの公開録画(抽選参加)として、無料だった。とんでもない贅沢をしていたものだ、といま想う。
 マルケヴィッチで、ベルリオーズ「イタリアのハロルド」を聴きながらこのブログを書いている。ハインツ・キルヒナー(ヴィオラ)、スザンヌ・コテル(ハープ)、ベルリン・フィルの演奏で1955年12月の録音である。切れ味鋭い、迫力ある演奏である。

 マルケヴィッチの名前は、①現代音楽の旗手としての系譜からも、②ベートーヴェンなどの総譜の研究者としても、③優れた20世紀の指揮者列伝からも、④さらに後世の指揮者を育てた指導者としても有名である。

 「イタリアのハロルド」(「幻想」も秀抜!)では①~③の彼の特質が如何なく発揮されていると思う。彼がもっと健康なら、その後半生はまったく別の航路だったかも知れない。
 才能に満ちあふれた人であったのだろう。しかし、有り難いことにいまだ揺籃期にあった日本にもよく来てくれた。1960年、68年、70年、83年に来日しているが、ぼくが聴いたのは68年であった。中学生の素朴な感想として、長い指揮棒を丹念に刻みつつ、カラヤンなどに比べて、派手さのまったくない、格好を気にしない愚直さに特色があったように記憶している。


金曜日, 7月 02, 2010

カルロス・クライバー

 今日はカルロス・クライバーについて。以下は、最近でたボックス・セットについての感想。
 クライバー(1930年7月3日~2004年7月13日)は、レコード・CD全盛期の指揮者だが、その盛名に比し録音は極端に少ない。だが、録音すれば向かうところ敵なし、圧巻の名演を紡ぎ出した。本全集は、そのレパートリーの相当な部分をカヴァーしており彼の全体像を知るうえで好適である。気難しい練習魔で、常任向きではないが、その天才的な音づくりには美学もあり内燃的な迫力もある。「こうもり」「トリスタン」の異質の2種はいまもベスト盤と思うが、その特質が際だっている。いままでクライバーに親しんでいない愛好家向きの廉価盤。
 カルロス・クライバーは、まちがいなく、「ドイツグラモフォン・レーベル」でカラヤン、ベームにつづく次の世代の旗手であった。なにより、緻密ながら衝撃の演奏スタイルが世を驚かせ、独特のカリスマ性をもっていた。「クライバーが今度振った・・」とPRされれば、思わず反応してしまう強烈な話題性があり、かつ、それは一般にも受け入れられやすい演目が中心だった。
 だが、この人はレパートリーを広げることにも、熱心に録音をすることにも、あまり関心がなかったのかも知れない。少ないレパートリーに磨きをかけ、他の追従を許さないといった専門家、職人気質が身上であったのだろうか。
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<収録一覧:録音時期>
【CD1】ウィーン・フィル/ベートーヴェン第5番&第7番:1974年3&4月、1975年11月、1976年1月 【CD2】ウィーン・フィル/ブラームス第4番:1980年3月
【CD3】ウィーン・フィル/シューベルト第3番&第8番:1978年9月
【CD4~5】バイエルン国立歌劇場/J.シュトラウス『こうもり』全曲:1975年10月
【CD6~7】バイエルン国立歌劇場/ヴェルディ『椿姫』全曲:1976年5月、1977年5、6月
【CD8~10】シュターツカペレ・ドレスデン/ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』全曲:1980年8&10月、1981年2&4月、1982年2&4月
【CD11~12】シュターツカペレ・ドレスデン/ウェーバー『魔弾の射手』全曲:1973年1&2月
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 オペラの歌手、合唱などより詳細な録音データについては以下を参照。
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 上記のうち、ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》&7番の感想は以下のとおり。
一世を風靡したウイーンの名指揮者エーリッヒ・クライバー(1890ー1956年)はベートーヴェンをこよなく愛し得意としていた。5番&6番のカップリングはいまも歴史的な名盤として記録されている。その子、カルロス・クライバー(1930ー2004年)はベルリン生まれ、ブエノスアイレス育ちで、「親子鷹」ながら父はカルロスが指揮者になることを強く反対したと伝えられる。  
 カルロスは父の使った総譜を研究し尽くして指揮台に上がったようだが、この5番&7番は、没後約20年後、父もここで名盤を紡いだ同じウイーン・フィルとの宿命の録音(1974、1976年)であり、余人の理解の及ばぬ、父を超克せんとする<格闘技>的な迫力にあふれている。同時期、ベルリン・フィルではその疾走感、音の豊饒さである意味共通するカラヤンの名演もあるが、明解すぎるほどメリハリの利いた解釈とオペラでしばしば聴衆を堪能させた弱音部での蕩けるような表現力ではカラヤンを凌いでいると思う。  
 父を終生意識しながら、その比較を極端に嫌ったカルロスが、結果的に父と比類したか、あるいは超えたかはリスナーの判断次第だが、この特異な名演が生まれた背景は、エーリッヒとの関係なしには語られないのではないかというのが小生の管見である。
最後に、本ブログで過去に書いたものを下に添付。

金曜日, 6月 11, 2010

ショパン ボックス・セット

17枚CDの全集。演奏の質は高くアシュケナージ、ポリーニ、ツィマーマンらいずれも推薦盤に名を連ねたもの。普段はなかなか聴けない曲も収録されており、系統的にショパンを聴きたい向きには好適。ただしショパンはディープな好事家も多いので、各曲演奏に拘りもあろう。極力、同一の演奏者で揃えたいという方には別のチョイスもあろう。その意味で以下に一応のラインナップを掲げてみた。ご参照を!

【収録概要 西暦は録音年月】
【CD1】ピアノ協奏曲第1番、第2番 ツィマーマン(ピアノ、指揮)ポーランド祝祭管弦楽団 1999年8月 【CD2】 モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》の「お手をどうぞ」による変奏曲 ポーランド民謡の主題による幻想曲  ロンド《クラコヴィアク》  Cアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ アラウ(p) ロンドン・フィル 指揮:インバル 1970年6月、1972年6月
【CD3】 バラード全集(4曲)  幻想曲ヘ短調 ツィマーマン(p)1987年7月   3つの新しい練習曲  葬送行進曲  3つのエコセーズ アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)1999年3月
【CD4】 練習曲集作品10(12曲)  練習曲集作品25(12曲)  舟歌嬰ヘ長調作品60  子守歌変ニ長調作品57 ポリーニ(p)1972年1月&5月、1990年9月
【CD5、CD6】マズルカ全集 アシュケナージ(p)1976~85年
【CD7、CD8】夜想曲全集マリア・ジョアン・ピリス(p)1995年1月~96年6月
【CD9】ポロネーズ全集Vol.1(第1~7番)ポリーニ(p)1975年11月
【CD10】 アンダンテ・スピアナート ト長調と華麗なる大ポロネーズ アルゲリッチ(ピアノ)1974年1月、7月   ポロネーズ全集Vol.2(第8~16番)  2つのブーレ  ギャロップ・マルキ変イ長調遺作  アルバムの一葉ホ長調遺作  カンタービレ変ロ長調遺作  フーガ イ短調遺作  ラルゴ 変ホ長調遺作 ウゴルスキ(p)1999年3月
【CD11】 前奏曲全集(26曲)ラファウ・ブレハッチ(p)2007年7月 即興曲全集(4曲)ユンディ・リ(p)2004年6月、2001年9月
【CD12】 スケルツォ全集(4曲)ポリーニ(ピアノ)1990年9月   ロンドハ短調作品1  ロンド ヘ長調作品5《マズルカ風》 リーリャ・ジルベルシュテイン(p)1999年3月   ロンド変ホ長調作品16ミハイル・プレトニョフ(p)1996年11月  2台のピアノのためのロンド ハ長調作品73 クルト・バウアー、ハイディ・ブング(p)1958年4~5月
【CD13】ピアノ・ソナタ全集  第1番ハ短調作品4 ジルベルシュテイン(p)1999年3月   第2番変ロ短調作品35《葬送》  第3番ロ短調作品58 ポリーニ(p)1984年9月
【CD14】 ドイツ民謡《スイスの少年》による序奏と変奏曲ホ長調遺作  《パガニーニの想い出》変奏曲イ長調遺作  華麗なる変奏曲変ロ長調作品12  4手のための変奏曲ニ長調遺作  ヘクサメロン変奏曲ホ長調  演奏会用アレグロ イ長調作品46  ボレロ ハ長調作品19  タランテラ変イ長調作品43 アシュケナージ(p)ヴォフカ・アシュケナージ(p)1978~83年
【CD15】ワルツ全集(19曲)アシュケナージ(p)1975~84年
【CD16】室内楽作品集  ピアノ三重奏曲ト短調作品8 ボサール・トリオ 1970年8月 序奏と華麗なるポロネーズ作品3 ロストロポーヴィチ(チェロ)アルゲリッチ(p)1980年3月 マイアベーアの歌劇《悪魔のロベール》の主題による大二重奏曲ホ長調 アンナー・ビルスマ(チェロ)ランバート・オーキス(p)1993年1月   チェロ・ソナタ作品65 ロストロポーヴィチ(チェロ)アルゲリッチ(p)1980年3月
【CD17】歌曲集  《ポーランドの歌》作品74遺作(17曲)  魅惑  ドゥムカ エルジビェータ・シュミトカ(ソプラノ)マルコム・マルティノー(p)1999年1月

火曜日, 6月 01, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ 2  ミュンシュ

 
上記は、パリ管との有名なライヴだが、ぼくは正規録音盤を聴いている。ボストン響盤も聴く。<十八番>とは、こういう演奏をいうのだろう。「幻想」ではマルケヴィッチやベイヌムも良い演奏だが、ミュンシュのちょっと真似のできないスケール感はやはり大書しておくべきだろう。  
大きく、早く、熱っぼく・・・と書くといかにもお手軽な印象を与えかねないが、でも、やはり、構えが立派で、軽快なテンポを保ち、かつ汗が迸るような熱演であることがミュンシュの特色である。  
クラシック音楽を聴きはじめた頃、1968年11月6日にミュンシュは逝去した。直後の11日に民放で追悼記念コンサートの放映があり、演目は「幻想」であった。当時は、こうした映像自身がめったに紹介されることがなかったから、この貴重な記録を食い入るように魅入ったと思う。 
 ところで、ミュンシュについては、意外なくらい『ウィキペディア』での記載が少ない。以下は全文の引用。

(参考)
シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891年9月26日 - 1968年11月6日)は、当時ドイツ領であったアルザス・ストラスブールに生まれ、のちフランスに帰化した指揮者である。
【生涯】 1891年9月26日に生まれ、ドイツ語名カール・ミュンヒ(Karl Münch)。家はドイツ系のアルザス人であり、第1次世界大戦後アルザスがフランス領に戻った際いったんはドイツ国籍を選択するが、のちナチスの台頭を嫌ってフランスに帰化。その際にフランス風の名前に改めた。ヴァイオリンを学び、1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の奏者となった。ゲヴァントハウス管弦楽団で1932年まで楽長のフルトヴェングラーワルターの下でコンサートマスターを務める。
1929年パリで指揮者としてデビュー、1937年パリ音楽院管弦楽団の指揮者となって、1946年まで在任した。1949年ボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年までその座にあって、数々の名演を行った。1960年にボストン交響楽団、1966年フランス国立放送管弦楽団と来日、単身では1962年日本フィルハーモニー交響楽団を指揮するために来日している。1967年パリ管弦楽団が組織された際には初代の音楽監督に就任したが、翌年同団とともに演奏旅行中、アメリカリッチモンドで急逝した。
【人物】 ミュンシュは、長い指揮棒を風車のように振り回す情熱的な指揮ぶり、爆発的な熱気あふれる音楽表現で高い人気を誇った。また、即興の名手であり、大の練習嫌いとしても知られている。仮に綿密なプローベをしたとしても、本番中悪魔のような笑みを浮かべつつ練習とは全く違う指示を出すことも多かったとも言われている。生涯のほぼ半分ずつを、それぞれドイツ人とフランス人として送った彼は、両国の音楽を共に得意とした(この両国間で帰化した音楽家は意外と少ない)。ことにベルリオーズの演奏は高く評価された。その一方で、ベートーヴェンブラームスなどでも定評がある。長いコンビだったボストン交響楽団との演奏がRCAレーベルに、晩年のパリ管弦楽団との録音がEMIレーベルに主として残されている。特に後者における、ベルリオーズの『幻想交響曲』とブラームスの第1交響曲のレコード・CDは評価が高い。また、小澤征爾シャルル・デュトワを教えたことでも知られている。


金曜日, 5月 21, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ  1  メンゲルベルク

 名匠メンゲンベルク http://classic.music.coocan.jp/cond/modern/mengelberg.htm  

クラシック音楽を聴きはじめた頃、その有力な媒体はNHK-FM放送であった。レコードは高くて、そうそう手が出なかったから、なによりもFMからのソースが有り難かった。そこで、はじめに集中して耳を傾けたのが、写真のメンゲルベルクである。  
1940年代の録音で、ブラームスの第1番、ベートーヴェンの第5,6番などをアムステルダム・コンセルトヘボウで聴いた。いわゆる名曲シリーズでは、ドボルザークの第9番はアンチェル/チェコ・フィル、チャイコフスキー第3番「ポーランド」はマルケヴィッチ/ロンドン交響楽団、ビゼーの交響曲は、ミュンシュ/フランス国立SO、ブラームスの第3番はワルター/ニューヨーク・フィル、シューベルトの第9番はベーム/ベルリン・フィルといったライン・ナップだった。音は良くなかったが、いまからみても贅沢な演奏であったと思う。  

交響曲ばかりを聴いていたわけではない。ピアノは、バックハウス、ケンプ、ルビンシュタインなどを好んで聴いた。ヴァイオリンはシェリングの全盛時代だったが、オイストラフ、メニューヒンもよく流れていた。イ・ムジチの「四季」は、シェフがアーヨからミケルッチにかわって演奏スタイルも理知的になっていた。フルートでも金色のランパルか銀色のニコレか・・・といったライヴァル的な視点も楽しかった。  

ワーグナーの楽劇も、いまよりもはるかに注目されていた。年一度のバイロイト特集は、憧れをもって集中して聴いた。また、ザルツブルク音楽祭やウィーン芸術週間なども、通常のレーベルを超えた演奏者の組み合わせにチェックは欠かせなかった時代である。



金曜日, 5月 07, 2010

大指揮者の「先生」


<断片的メモ>
 フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、カラヤンやベームのブルックナー演奏を自分なりに「再考」してみて、改めて、彼らの「お師匠筋」について関心をもった。以下はその断片書きである。

<再考シリーズ>
フルトヴェングラー
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1290.entry?&_c02_owner=1
フルトヴェングラー & クナッパーツブッシュ
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1302.entry?&_c02_owner=1
カラヤン
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1304.entry?&_c02_owner=1
ベーム
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1305.entry?&_c02_owner=1

 はじめに、ここで登場するハンス・リヒター、アルトゥル・ニキシュ、カール・ムックといった大指揮者は、ブルックナーの交響曲を広めた功績は大きいながら、彼らのレパートリーからすれば、ブルックナーは主要の一部でしかなかったことである。いわゆるドイツ・オーストリー系(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど)の古典をしっかり押さえていたほか、ロシアもの、イギリスものなど同時代音楽の取り上げも行っている。職業的指揮者として、ある意味、オールラウンダーであったと言えるかも知れない。

 ハンス・リヒターは、ワーグナーの「指輪」もブラームスの2,3番のシンフォニーも初演した。彼にとって、当時のワーグナーVSブラームス論争などは、指揮者の職業上、顧慮すべきことではあっても、全く本質的ではないと思っていたであろう。だからこそ、ワーグナー派とみられていたブルックナー交響曲の初演も積極的に行った。
 ニキシュは、R.シュトラウスやマーラー、チャイコフスキーなどの作品も多く紹介する一方、ベートーヴェンの5番のシンフォニーをベルリン・フィルと録音(1913年)したことでも有名。 カール・ムックは、スコアに忠実な近代的な指揮者の祖とも言われるが、チャイコフスキーベルリオーズエルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ等の小品集の録音もある。 そのうえで、次の世代との関係を見てみよう。

 まず、クナッパーツブッシュと先生ハンス・リヒターの関係。リヒター(Hans Richter, 18434月4日 - 1916年12月5日は、19世紀後半から20世紀初頭を代表するドイツ人の大指揮者。ハンガリー(当時はオーストリア帝国の一部だった)のジェール生まれ。ハンガリー名はRichter János。主にウィーンバイロイトロンドンで活躍)
は、ブルックナーの交響曲第1,4,8番の初演指揮者。ブルックナー自身がもっとも感謝をしていた大指揮者である。

(参考)
 従来は「1909年、バイロイトにもぐりこみ、3年ほどハンス・リヒターの助手を務める」などと書かれていた。大学時代に何度もバイロイト詣でをしていたことは確からしい。1910年1月にジークフリート・ヴァーグナーから「音楽祭の最終稽古に居合わせてください」との手紙をもらっている。しかし1910年には音楽祭は開かれていない。ハンス・リヒターの謦咳に接したのは1911年の音楽祭だったと思われる。彼がアルフレートではなくハンスの名を用いるようになったのはリヒターの影響だろう、と奥波氏(※)は書かれているがその通りだろう。
(※)2002年、奥波一秀 著「クナッパーツブッシュ」(みすず書房)
(出典) 
http://classic.music.coocan.jp/cond/modern/kna.htm 
 次にフルトヴェングラーと前任者ニキシュ(Nikisch Artúr, Arthur Ni 1855年10月12日 モション県レーベーニ近郊レーベーニ・セントミクローシュ Lébényi Szent-Miklós現在のモションセントミクローシュ Mosonszentmiklós) - 1922年1月23日は、現在のハンガリー出身で主にドイツで活躍した20世紀初期の大指揮者の一人)のついて。ニキシュはブルックナーの交響曲第7番をライプチッヒで。彼もブルックナーをよく理解していた大指揮者。
(参考)
 フルトヴェングラーが生まれたのは1886年のことです。ベルリン・フィルの創立は1882年ですが、その当時はいつまで続くかわからないオーケストラであったのです。 当時は、音楽のコンサートというものが興業としてやっと成立するようになった時代なのです。これによって、コンサートを主催する側とコンサートに出演する側の間に立つ「エージェント」という職業が誕生したのです。そういう創生期にヘルマン・ヴォルフがエージェントを立ち上げたのです。 
 当時ベルリン・フィルは、フィルハーモニア協会という支援団体が支えていたのですが、あまりにも多額の赤字に耐えかねて、この協会は解散してしまうのです。1887年のことです。 
 これによって、ベルリン・フィルは自立を迫られたのですが、そのとき救いの手を差し伸べたのがヘルマン・ヴォルフです。ベルリン・フィルのオーケストラの腕はよく、良い指揮者を付ければ、興業として成り立つと判断したのです。 
 そこで、ヘルマン・ヴォルフが連れてきた指揮者が、ハンス・フォン・ビューローだったのです。ビューローはピアニストで、現代の職業指揮者の先駆的存在なのです。ビューローが登場するまで、作曲家と演奏家の分業化は明確でなく、オーケストラの指揮は作曲家自身がやるのが常識だったのです。 
 ところが、1894年にビューローは死去してしまうのです。そこでヴォルフは後継者として、アルトゥール・ニキシュを任命するのです。1895年にニキシュは、ベルリン・フィルの首席指揮者に就任します。このヴォルフという人は、オーケストラの指揮者の実力を見抜く目を持っていたのです。 
 しかし、今度はこのヴォルフが1902年に56歳の若さで亡くなってしまうのです。しかし、ヴォルフの事業は軌道に乗っていたので、この事業は妻のルイーゼ・ヴォルフによって引き継がれるのです。 
 ルイーゼ・ヴォルフは、夫の遺した音楽家との人間関係を引き継ぎ、新しい才能を見抜く力に加えて、企業家としての実力もあったのです。そのため、多くの音楽家から慕われる存在になり、しまいには「女帝」といわれる存在になったのです。 
 当時フルトヴェングラーは16歳でしたが、彼は後援者の紹介でヴォルフ家と知り合いになり、ルイーズの息子のヴェルナー・ヴォルフと親しく付き合っていたのです。 
 1922年1月にニキシュが亡くなるのです。その時点でフルトヴェングラーは若手の指揮者として注目を集めており、ベルリン州立歌劇場管弦楽団と契約したばかりだったのです。 
 といってもフルトヴェングラーは、州立歌劇場管弦楽団のオペラの指揮をするのではないのです。州立歌劇場管弦楽団はオペラの演奏をする以外にコンサート・オーケストラとしても活動していたのですが、フルトヴェングラーはそのコンサート・オーケストラの指揮者としての契約を結んだのです。 
 ニキシュは、ベルリン・フィルだけでなく、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督をしていたのです。そして、
1922年1月10日にニキシュはゲヴァントハウスの定期演奏を振っているのですが、1月26日にもゲヴァントハウスの定期演奏会があったのです。しかし、ニキシュはオランダへの客演が決まっていたので、フルトヴェングラーが代役を務めることになっていたのです。 
 ところが、1月23日にニキシュが亡くなってしまったので、フルトヴェングラーの振るコンサートは、ニキシュの追悼コンサートになるのです。追悼コンサートを振る指揮者はそのオーケストラの後継者になるのが通例です。      

(出典) http://electronic-journal.seesaa.net/article/118149326.html

 ベームの「先生」も有名なカール・ムック(Karl Muck, 1859年10月22日 - 1940年3月3日は、ダルムシュタットに生まれシュトゥットガルトに没したドイツ人指揮者)。ベームにとっては、ワルターとともに、恩師だろう。ワルターの「先生」はグスタフ・マーラー。マーラーはブルックナー交響曲第6番の全曲を初演した。

(参考) ムックのレパートリーの中心はやはりワーグナーで、前述の『パルシファル』のほか、『ニーベルングの指輪』を含む主要作品はすべて指揮した。そのほか、彼はブルックナーも積極的に取り上げた。中でも、ウィーンに先駆けての『交響曲第7番』のオーストリア初演(グラーツ、1886年)、あるいは、アメリカにおけるブルックナー作品の紹介などが注目に値する。アメリカでの初期のブルックナー演奏は、アントン・ザイドル、ニキシュ、マーラー、そして、ムックらによって行われたのである。http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/muck.html
1917年 - グラーツ市立歌劇場でデビュー。首席指揮者の座を約束されていた。しかしリヒャルト・ワーグナーの友人であったカール・ムックがベームの「ローエングリン」を聴いた際に感激し、当時バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターにベームを紹介した。1921年 - ワルターの招きにより、バイエルン国立歌劇場の指揮者に転任。ワルターはベームに多大なる影響を与え、特にモーツァルトの素晴らしさを教えた。そしてまたベームもモーツァルトの権威として知られることになる。ワルターとの交遊関係は戦中戦後を通じて続くこととなるが、1922年からはワルターに代わり、クナッパーツブッシュが音楽監督になった。しかしクナッパーツブッシュも、モーツァルトに関してはほとんどベームに任している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A0

金曜日, 4月 30, 2010

ベイヌム ブルックナー

 ベイヌムについては、その前任のメンゲルベルク(※1)との関係なくしては語れない。先代メンゲルベルクは、約半世紀の永きにわたって、コンセルトヘボウに君臨したのみならず、初代ウイレム・ケス(1854~1934年)の跡目を弱冠24才で継いだあと、実質の「ファウンダー」とでも言うべき功績を残した。彼が、コンセルトヘボウを鍛えぬき、オランダに名器コンセルトヘボウありと世に知らしめたのである。
 後任のベイヌムは、この先代の推戴で37才で、地元のコンセルトヘボウの首席指揮者になるのだから、非常に優秀で、かつ世俗的にはオランダでは大成功者であったと言えるだろう。しかし、先代の存在があまりに巨大であったので、彼自身の評価は結果的に地味な感を否めない。
 また、指揮者としては働き盛りの57才での早世、後任が同じオランダ出身の俊英、話題性のある若きハイティンクであったことから、ベイヌム時代は「中継ぎ」のような印象があり、余計に地味に映ってしまう。さらに、最盛期の録音時期が、モノラル時代の最後に重なっており、その後の怒濤のステレオ時代の「エアポケット」になってしまったことも、その見事な演奏を広く知らしめるには不利であった。
 加えて、ブルックナーに関しては、ハイティンクの「後見人」的に、ヨッフムがコンセルトヘボウを指導したが、彼は既にブルックナーの最高権威であり、また、ハイティンクもブルックナーを熱心に取り上げたことから、結果的に、ベイヌムの業績を目立たなくしてしまったように思う。

 既に幾度も指摘をしてきたが、マーラーと親交があり、それを積極的に取り上げたメンゲルベルクは、ブルックナーについてはあまり関心がなかったようだ。しかし、ベイヌムはそのデビューがブルックナーの8番のシンフォニーであったことが象徴的だが、ブルックナーも進んで演奏している。そして、その記録はいま聴いても、ヨッフム、ハイティンクとも異なり、けっしてその輝きを失っていない。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!415.entry?&_c02_owner=1

 ぼくは、コンセルトヘボウの幾分くすんだ、ヴァイオリンから低弦まで美しく見事にハーモナイズされた弦楽器群のサウンドが好きで、その「テイスト」はブルックナーに良く合うと思う。また、オランダは、オルガン演奏も熱心で先進国であるようだが、このホール専属オケ自体がオルガン的な響きを有しているようにも思う。だからと言うわけではないが、コンセルトヘボウ奏でるブルックナーは、いまや誰が振っても一定のレベルにはいくのではないかとさえ感じる。
 しかし、ベイヌムの弦楽器、木管楽器、管楽器の「鼎」のバランスはなんとも絶妙で、かつ、そのテンポの軽快感とオーケストラの自主性を重んじるような自然の運行あればこそ、ベイヌム独自の魅力的なブルックナー像を啓示してくれていると思う。

※1:メンゲルベルク(1871~1951年)は、ドイツ系のオランダの指揮者。生地ユトレヒト音楽学校とケルン音楽院に学び,1892年ルツェルン管弦楽団の指揮者となる。1895年,創立まもないアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任。マーラー、R.シュトラウスなどでも定評のある演奏を残した。
http://kotobank.jp/word/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

※2:エドゥアルト・ファン・ベイヌム (Eduard van Beinum, 1901年9月3日 - 1959年4月13日) はオランダ指揮者
 オランダ東部の町アルンヘム生まれ。ヴァイオリンピアノを学び、16歳でアルンヘム管弦楽団のヴァイオリニストとして入団。翌年にはアムステルダム音楽院に入学し、ピアノ、ヴィオラ作曲を学ぶ。
1920年にはまずピアニストとしてデビューしたが、まもなく指揮者に転向した。1927年に指揮者としてデビューし、同時期にハールレム交響楽団の音楽監督に就任。1929年6月に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団へのデビューが大成功を収め、1931年ピエール・モントゥーの推薦とウィレム・メンゲルベルクの招きで同楽団の次席指揮者となった後、1938年からはメンゲルベルクとともに首席指揮者として活躍した。
 戦後の1945年、メンゲルベルクがナチスへの協力の廉でスイスに追放されると、ベイヌムはメンゲルベルクの後をついで、コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任した。またコンセルトヘボウ管弦楽団とのロンドン公演が大成功を収め、1949年から1951年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任。1954年にはフィラデルフィア管弦楽団を指揮してアメリカへのデビューを果たして大成功を収めている。1956年から1958年にかけて、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者として迎えられた。
 しかしベイヌムは元来病気がちで、晩年には心臓疾患を患っていたが、1959年4月13日に、アムステルダムでブラームス交響曲第1番のリハーサルを行っていた最中に心臓発作で倒れ、57歳の若さで急逝した。
バッハからドビュッシーバルトークやオランダの現代音楽に至るまで幅広いレパートリーを誇っていたが、とりわけ古典派・ロマン派音楽の演奏には定評があった。
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