水曜日, 12月 23, 2009

クリスマス・イブ

 もう数十分するとクリスマス・イブである。子どもの頃は言いしれぬわくわく感があったが、いまは年の瀬近しの忙しなさが先にたつ。ドイツ滞在中は、フランクフルトやバチカンでその雰囲気を満喫したが、これはやはり本場欧州のもので、日本のクリスマス・イブは良い意味でも、そうでない見方でも「商業的」だなというのは否めない。でも小理屈なく、子ども連れが楽しめれば、それはそれで結構。こちらも笑顔のお裾分けで満足しようか。

 それとは別に、この時期、クリスマス音楽が、TVで、また街中に流れるが、思わず耳を傾けるような、実にうっとりするメロディも多い。ひそやかな楽しみである。

水曜日, 12月 02, 2009

ブルックナー vs シューリヒト

 日本には根強いシューリヒト・ファンが多い。自分もその末席に座しているなと思うこともある。いま、もう何度もお世話になっているブルックナーの9番を聴いている。
 なんとも精妙な音づくりに、これぞシューリヒトならではと膝を打つ一方、一種の「軽みの美学」は、待てよ、これってクナッパーツブッシュ的じゃないか?と感じることもある。あるいは両巨頭に<共通した部分>があるというべきか。後期3曲、7,8,9番は、両巨頭とも双璧の拮抗をみせる世紀の名演を残してくれている。どちらが上かはナンセンスな質問であり、リスナーの好みの問題といえるだろう。

 軽快なテンポで、音楽を重くせず、オーケストラの溜まっていくエネルギーを、ヒラリ、ハラリといなしていくような独特のやり口にそうしたことを思う次第だが、その反面、クナッパーツブッシュは時に大爆撃のようなこともやってみせるが、シューリヒトの演奏は最強音でも独特の品の良い美しさを失わず常軌を逸することがない。
 「1958年公演直後のウィーン・フィル、クナッパーツブッシュ、シューリヒトとのヨーロッパ演奏旅行の楽団員用スケジュール小冊子」なるものがあるという(※1)。この2人の関係が気になる。
 シューリヒトは典型的な大器晩成型で、晩年になってから大舞台で活躍したので、クナッパーツブッシュの方が直観的にははるか年上に思えるが、実は、シューリヒトはクナッパーツブッシュよりも8才年長であり、しかも2年近く長生きしていることに驚く。

◆カール・アドルフ・シューリヒト(Carl Schuricht, 1880年7月3日 - 1967年1月7日
◆ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888年3月12日 - 1965年10月25日

 ウイーン・フィルとの関係では、シューリヒトは、その活動の最盛期が、クナッパーツブッシュより後になるので、この「ヒラリ、ハラリの技法」は、もしかするとクナッパーツブッシュ流のウイーン・フィル操舵術を、シューリヒトが、その実、よく心得ていたからかもしれないなと勝手に思ってみたりする。
 ちなみに、この2人は、「難物中の難物」ウイーン・フィルのメンバーが心から敬したという数少ない生粋のドイツの指揮者でもあった(※2)。

(参考)『ウィキペディア(Wikipedia)』 から抜粋
 シューリヒトの演奏スタイルは、基本的にテンポが非常に速く、リズムは鋭く冴えており、響きは生命力に満ち、かつ透明度の高いものであった。彼の楽譜の読みはどの指揮者よりも個性的で、ある時はザッハリヒに厳しく響かせたり、ある時はテンポを動かしながらロマンティックに歌わせるなど、決して一筋縄ではいかない意外性があったが、音楽全体は確信と明晰さにあふれていた。また、同じ曲でも決して毎回同じようには指揮せず、演奏するたびに新鮮な感動と発見を聴き手に与えるのであった。EMIDecca、コンサートホール協会盤など多数のスタジオ録音が残されているが、放送用録音の発掘も現在盛んに行われている。
シューリヒトはかなり高齢になってから世界的名声を得た人であり、特に晩年はリューマチの悪化により杖をつきながらかなり長い時間をかけて指揮台に登場するのであった。しかしひとたび指揮台に上がると、年齢を全く感じさせない輝かしい生命力が彼の指揮姿からもその音楽からも湧き出て、聴く者に(そしてオーケストラの楽員にも)大きな感銘を与えたのである。能力のない指揮者に対しては口が悪いウィーン・フィルの楽団員に対しても、毅然とした態度で臨んだ。たとえば、1955年3月の初めての顔合わせのとき、だらけたウイーンフィルの演奏態度に腹を立てたシューリヒトは、ブルックナーの第4番を熱血あふれる指揮ぶりでひっぱり、見事にオーケストラを立ち直らせた。こうしたことがあって口さがないウイーンフィルの楽団員もシューリヒトには一目置いて、「偉大な老紳士」と称して特別に敬愛していたという。
1965年ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮したのが最後の演奏会となり、1967年1月7日に、スイスで亡くなった。86歳没。

※1:http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%80%81%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%E3%80%81R-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC-BOX-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9/dp/B001KNVI84

※2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%88

日曜日, 11月 29, 2009

ブルックナー 名指揮者シリーズ

 以下のシリーズをみて、まだまだ取り上げるべき指揮者はいるなと思う。まずは、ヴァントの全業績。シャイーの全集、クーベリックの3、4番、プロムシュテットの4、7番、ムラヴィンスキーの7、8、9番、それに古株ではアーベントロートなどもいる(本「織工Ⅲ」ではコメントしているが・・・)。ワルター、クレンペラー、マタチッチなども少しコメントした程度であり、なお書くべきことは多い。  一方で、アバド、マゼール、バレンボイム、小澤征爾、エッシェンバッハなどが入っていないとの指摘もあるだろう。ノリントン、シモーネ・ヤングなど最近とみに注目の指揮者もいる。しかし、いまの自分の指向性からすれば、いたずらに指揮者のレンジを広げるよりも、取り上げた指揮者をさらに深掘りしたいとの思いのほうが強いのも事実である。 <名指揮者シリーズのインデックス> 1 テンシュテット 9E9FE7463122BF4E!212.entry?&_c02_owner=1 2 チェリビダッケ 9E9FE7463122BF4E!221.entry?&_c02_owner=1 3 若杉弘     9E9FE7463122BF4E!228.entry?&_c02_owner=1  <ブルックネリアーナ指揮者>  9E9FE7463122BF4E!251.entry?&_c02_owner=1 4 マズア     9E9FE7463122BF4E!255.entry?&_c02_owner=1 5 インバル    9E9FE7463122BF4E!257.entry?&_c02_owner=1 6 シノーポリ   9E9FE7463122BF4E!259.entry?&_c02_owner=1 <ウイーン・フィルと指揮者> 9E9FE7463122BF4E!396.entry?&_c02_owner=1 7 フルトヴェングラー 9E9FE7463122BF4E!407.entry?&_c02_owner=1 8 ベイヌム    9E9FE7463122BF4E!415.entry?&_c02_owner=1 9 シューリヒト  9E9FE7463122BF4E!423.entry?&_c02_owner=1 10 ケンペ    9E9FE7463122BF4E!425.entry?&_c02_owner=1 11 ショルティ  9E9FE7463122BF4E!436.entry?&_c02_owner=1 12 ヨッフム   9E9FE7463122BF4E!447.entry?&_c02_owner=1 13 ロジェストヴェンスキー 9E9FE7463122BF4E!477.entry?&_c02_owner=1 14 セル     9E9FE7463122BF4E!505.entry?&_c02_owner=1 15 コンヴィチュニー  9E9FE7463122BF4E!512.entry?&_c02_owner=1 16 朝比奈隆  9E9FE7463122BF4E!520.entry?&_c02_owner=1 17 レーグナー 9E9FE7463122BF4E!535.entry?&_c02_owner=1 18 ワルター  9E9FE7463122BF4E!937.entry?&_c02_owner=1 19 クレンペラー 同上 20 マタチッチ  同上 21 ベーム   9E9FE7463122BF4E!941.entry?&_c02_owner=1 22 カラヤン  9E9FE7463122BF4E!943.entry?&_c02_owner=1 23 クナッパーツブッシュ 9E9FE7463122BF4E!945.entry?&_c02_owner=1 <映像の魅力>  9E9FE7463122BF4E!975.entry?&_c02_owner=1 24 カラヤンとフルトヴェングラー  9E9FE7463122BF4E!1181.entry?&_c02_owner=1 25 メスト  9E9FE7463122BF4E!1193.entry?&_c02_owner=1 http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1206.entry?&_c02_owner=1 http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1207.entry?&_c02_owner=1



金曜日, 11月 27, 2009

ブルックナー 最近のお気に入り

 メストについては既に書いてきた。いま、5番のライブをよく聴く。クレンペラー、ヨッフム以来の名演ではないかと思うこと暫し(しかし、最近のTV放映では少しく違和感ももったが)。
 その他の傾向は、3番:シノーポリ、4番:プロムシュテット、5番:メスト、6番:クレンペラー、7番:クナッパーツブッシュ、8番:テンシュテット、9番:クナッパーツブッシュである。
 3、4番では、ベーム、クーベリックもよく聴く。7番のメスト、プロムシュテットのCDも良い。そう言えば最近はフルトヴェングラー、シューリヒト、チェリビダッケ、ヴァントあたりはご無沙汰かな。
 4、7、9番は一時、ワルターを集中的に聴いていたがいまは敬遠気味。8番は重くて長いので、出勤途上だとちょっとそぐわない。2番のジュリーニは第4楽章だけピック・アップして聴くことも多い。そのパターンでは0番のショルティ、1番のノイマンも同様。

月曜日, 11月 23, 2009

ブルックナー vs プロムシュテット

 プロムシュテットのブルックナーの4番(ジャケットは7番)がいい。今日聴いていて、その瑞々しさに改めて心打たれた。プロムシュテットはいまチェコ・フィルと来日中。以前、テレビのインタビューを見たが、敬虔なクリスチャンで健康に気をつかう小食の菜食主義者。長身、痩躯の哲学者的な佇まいの大家中の大家である。以下はかつての記述の再掲。

 1981年9月ドレスデンのルカ協会での演奏。2回目の全集を同じドレスデン・シュターツカペレで収録中のヨッフムの4番は翌1982年録音だから、この時期シュターツカペレはブルックナーに実に集中して取り組んでいたことになる。薄墨をひいたような弦楽器の少しくすんだ音色も、ルカ協会特有の豊かな残響ともに共通するが、ブロムシュテット盤も秀逸な出来映えで両盤とも甲乙はつけがたい。

 ブロムシュテットは全般にヨッフムよりも遅く、かつテンポはベーム同様、実に厳しく一定に保つ(いずれもノヴァーク版使用。ヨッフム:ブロムシュテットで各楽章別に比較すれば、第1楽章、17’48:18’23、第2楽章、16’40:16’30、第3楽章、10’02:10’51、第4楽章、20’22:21’06)。

 ブルックナーの音楽は本源的に魅力に溢れ聴衆に必ず深い感動をあたえるという「確信」に裏打ちされたように、小細工など一切用いず、素直に、しかし全霊を傾けてこれを表現しようとする姿勢の演奏。どの断面で切っても音のつくりに曖昧さがなく、全体にダイナミズムも過不足ない。

 ブルックナー好きには、演奏にえぐい恣意性がなく、作曲家の「素地」の良さを見事に表現してくれた演奏と感じるだろう。ヨッフム盤とともにお奨めしたい。
https://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A185EQOC8GHUCG

(参考)
『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年7月11日 - )は、アメリカ生まれのスウェーデン指揮者称号バンベルク交響楽団名誉指揮者など。
 ストックホルム音楽大学ウプサラ大学に学んだ後、イーゴリ・マルケヴィッチに師事。さらにアメリカ合衆国に留学してジュリアード音楽学校でジャン・モレルに、タングルウッドのバークシャー音楽センターでレナード・バーンスタインに師事。1953年クーセヴィツキー賞を獲得し、1955年ザルツブルク指揮コンクールで優勝した。
 1954年2月にロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団ベートーヴェンヒンデミットなどの作品を指揮して指揮者として本格的にデビュー。その後、ノールショピング交響楽団オスロ・フィルハーモニー管弦楽団デンマーク放送交響楽団スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任した後、名門のシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。ドレスデンを去った後はサンフランシスコ交響楽団1985年1995年、現在は桂冠指揮者)、北ドイツ放送交響楽団(1995~1998年)を経て、1998年から2005年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を務めた(現在は名誉指揮者)。また、バンベルク交響楽団とNHK交響楽団の名誉指揮者でもある。N響を振っていることから 日本国内でもよく知られた外国人指揮者の一人である。
 2009年秋には、東欧の名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団との客演指揮者としての来日が予定されており、東京・大阪をはじめとする全国数箇所での公演で、アントン・ブルックナーの交響曲第8番などのドイツ音楽の大曲や、アントニン・ドヴォルザークの交響曲第8番や第9番「新世界より」などのチェコ音楽が演奏される予定である。
ブロムシュテットの演奏は、華やかな個性とはあまり縁がなく、高い名声を誇りながらもどこか地味な印象が強いが、指揮するオーケストラの持つ美質を最大限に引き出して充実感溢れる演奏を行うという点では現代屈指の指揮者の一人であるといえるだろう。ドイツ読みの名前で親しまれているように(スウェーデン読みではブルームステート)、この世代に人材が手薄なドイツ音楽の大家として信頼が厚く、また北欧系レパートリーにも秀でている。近年は、以前にもまして熟練の度合いを深めており、今後、更なる深化が期待される。

日曜日, 10月 25, 2009

ブルックナー 徒然

 ブルックナーの音楽には、碩学が指摘するように、ちょっとユニークな特色がある。以下、 ウィキペディア(Wikipedia)を下敷きにメモしておこう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC

◆ブルックナー開始
 第1楽章冒頭、原始霧と言われる最弱音の弦楽器のトレモロで始まる手法。交響曲第2,4,7,8,9番に採用されている。これはベートーヴェンの交響曲第9番と共通するが、なぜ、各曲の冒頭に、ここまで拘って同種のイントロを置いたかは謎である。「早朝、徐々に薄れていく霧の向こうから音楽がはじまる」といったイメージである。

◆ブルックナー休止
 交響曲第2番に象徴的だが、楽想が変化するときに、管弦楽全体を休止(ゲネラル・パウゼ)させる手法。よって4楽章の交響曲でも、慣れないリスナーはいったい、いつ楽章がかわるのかに戸惑う。これはパイプオルガン奏者だったブルックナーがオルガンの技法を交響曲に取り入れたとも言われる。

◆ブルックナー・ユニゾン
 オーケストラ全体によるユニゾン。ゼクエンツと共に用いられるが、凡庸な演奏ではリスナーにとって苦痛になる単純さとその繰り返しの要因でもある。朝比奈隆は、オーケストラ(特に弦楽器、朝比奈自身が、優れたヴァイオリン奏者であった) にとって、集中力の維持が難しい要素と言っているが、それも頷けるものであろう。


◆ブルックナー・リズム
 「(2+3) によるリズム 。第4,6番で特徴的である。(3+2) になることもある。金子建志は、初期の稿では5連符として書かれているが、改訂稿ではブルックナー・リズムに替えられていることを指摘して、演奏を容易にするための改変だったのではないかとしている。複付点音符と旗の多い短い音符の組み合わせで鋭いリズムを構成する方法(9番)などがある」と記載されるが、実は、その刻み方のほうが特徴的。ザクザクと刻む部分に包丁の切れ味を連想して、ここが好きになる向きもいるだろう。


◆ブルックナー・ゼクエンツ
 ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法。いたるところに見られる。 ゼクエンツの執拗なまでの多用は、彼が神経症を患っていたこととの関連性があるようにも思う。砂粒まで数えないといけないと思いこむブルックナーは、本当に音型を粘着質に繰り返す。ブルックナー嫌いが生まれる要因でもあり、弟子がなんとか短縮させようと苦労した部分でもある。

◆コーダと終止
 「コーダの前は管弦楽が休止、主要部から独立し、新たに主要動機などを徹底的に展開して頂点まで盛り上げる」と記載されるが、コーダこそブルックナーにとってとても重要な要素であった。単調に見えながら、実は音楽の「起承転結」にこだわるブルックナーにとって、コーダはその重要な転換点、間仕切りであったと思う。

◆和声
 「ブルックナーの和声法で、従来響きが濁るので多くの作曲家が避けた技法。例えば根音Gとした場合、根音Gに対して、属9の和音以上に現れる9の音のAbが半音違いで鳴ること、属11の和音においてBとCが半音違いで鳴ることや、13の和音においてDとEbが半音違いで鳴ること。もう一つは
対位法の場面で現れ、対旋律や模倣が半音違いで鳴ること。従って和声学上の対斜とは意味が異なる。
またブルックナーにおいては、
ワーグナートリスタン和音がそのまま使れていることがある。和音の音色を明確にするため同一楽器に当てている例が多い。和音の機能をはっきりさせるために密集配置がほとんどで、これが後期ロマン派の香りを引き立たせる大きな要因である」と記載される。
 ゼヒターの禁則処理を破った技法ともいわれるが、確固たるメロディ構築とその揺らぎが交互にあらわれるといったらどうだろうか。この禁則処理こそ、ブルックナー音楽の新鮮さを印象づけ、マーラーなど次世代へ大きな影響を与えた彼の独創でもあった。

 さて、以上のブルックナー音楽の特色は、当時のウイーン・フィル(上記写真は今日のウイーン・フィル)にとっては、とても奇異に感じたであろう。初演の演奏拒否や演奏しても身が入らなかったエピソードは、当時としては致し方なかったかも知れない。
 しかし、プロを評価するのもプロであり、その斬新さと保守性の両立、エネルギッシュな部分と繰り返しの単調さの部分の併存にいちはやく気がついていたのもウイーンの彼らである。時代は移って、いまブルックナーはウイーン・フィルにとってメインの演目であり、幾多の名演を紡ぎ出しているのも、上記の特質を彼らが熟知しているからであり、それを補完する術を知っているからではないかと思う。そして、気難しい彼らに、それを完全に植え付けたのは、フルトヴェングラーであり、クナッパーツブッシュであり、ワルターであり、ベームであり、そしてカラヤンであった。しかも、かかる指揮者はいずれも同じ音楽で、ここまで違うかというくらいテクストを自分なりに解釈し、上記要素を創意工夫をして際だたせている。そこがテンポ設定とともに、ブルックナー演奏比較の妙味である。

日曜日, 10月 11, 2009

ブルックナー vs ベイヌム

 寝るときの枕に差し込むと音楽が聴ける優れ物のグッズがある。音は良くないが、両耳のところに小さなスピーカーが付いていて、音楽が流れてくる。いまはCDウォークマンからベイヌムのブルックナーをアクセスして聴いている。そのうちに心地よく寝込んでしまうという算段だ。
 5,7,8,9番を順にかけているが、いつもながら飽きはこない。レーグナーにしようかベイヌムか、迷ったが当分はベイヌムかな。
http://shokkou.blog53.fc2.com/blog-entry-9.html
http://shokkou.blog53.fc2.com/blog-entry-10.html

月曜日, 9月 21, 2009

ブルックナー 哲学的テーマ

 哲学書を読んだからといって哲学がわかるとは限らない。ブルックナーの書架に哲学書がなかったからといって彼の音楽が哲学的ではないとは言えない。
 
 ブルックナーの交響曲は、「はじめ」と「おわり」がないかのように、各曲ともに連綿とつづく。どうして、こうした交響曲を、順不同でなんども手直ししながら書かなくてはならなかったのだろうか。そして、ブルックナー自身、9番の<終曲>とはなにかを、悩みつつも実は見いだしていなかったのかも知れない。9番の4楽章の途中まで書いて、「あとはテ・デウムで代替してくれ」とこれを投げ出してしまったのも、「おわり」としての<終曲>が書けなかったからではないのか。

 「宇宙的」という形容もそれと類似性がある。「無窮性」というのも同様。逆に、ブルックナー嫌いが、「締まりがない」、「堂々巡りだ」というのは、その裏返しで、ファンからみれば、「してやったり!そこが魅力よ!」ということになる。ブルックナーの音楽は体系的である。あるいは絶対音楽上、体系的にすぎるくらいだとも評される。ブルックナーの音楽はマーラーとの比較でも、けっしてニヒリスティックではないと思う。むしろ、肯定的、積極的なイメージを金管で奏でる巨大コーダを終盤におくケースが多い。舞曲風のメロディは明るく楽しい曲想ものせている。

 学生時代に囓ったハイデッガーの<世界観論>に通じるようで、しかしそれは完結しない。聴くものに哲学的なテーマを投げかけ考えさせるけれども、<音楽>はあくまでも<音楽>であり思考の帰結はない。しかし、それが哲学から宗教にジャンプすると考えるのはあまりに短絡的という気もする。宇宙的という意味では、大好きな埴谷雄高も連想させるが、ブルックナーの雄渾さとの対比では、これも単純すぎるアナロジーだろう。

 そして、ここも面白いのだが、もっともある意味でドイツ観念論を彷彿とさせる「哲学的」な感じがするフルトヴェングラーのブルックナー演奏にはある種の説得性はあるけれど、その一方、あまりそうした心理の纏のない、シューリヒトの独特の軽みも、クナッパーツブッシュの大伽藍的な演奏構築も双方、すっきりと収めてしまう許容さが実はブルックナーのテクストにはある。

土曜日, 9月 12, 2009

「古き名盤」の整理

 1960年代、70年代の「レコード芸術」の推薦盤の一覧を再整理した。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1219.entry?&_c02_owner=1
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1218.entry?&_c02_owner=1

 これをながめていると、ブルックナーの録音に関するかぎり、「黄金の60年代」「多様化の70年代」といったタイトルをつけたくなる。一方で、ブルックナーに限らず、大御所の変遷をみるような感じもあるが、いまに聴き継がれる名盤が、実に多く60年代に世にでていることがわかる。

 もちろん「80年代」、「90年代」、今世紀入りほぼ10年といった10年刻みで、さらに変化をみていくことは可能だが、60年代の強力な<シンドローム>を超える動きにはなっていないと直観的に思う。また、自分自身、この数年間で結構、系統的に聴いてきたなあとも感じる。

土曜日, 8月 22, 2009

ブルックナー 海外関連サイト

ぼくが良くみるブルックナー関係の海外サイトを紹介しよう。まずは、マニアのHPから・・・
1.Alex Zhang's Immortal Bruckner Pageがある。
http://www.geocities.com/immortalbruckner/main.html

 たとえば、彼の「伝記」について、このサイトの要約は簡潔で見やすい。指揮者の紹介も悪くない。フルトヴェングラー、カラヤン、ヨッフム、ティントナー、ヴァントの5名が挙げられている。ティントナーについては取り上げられることが少ないから好事家には一見の価値があるだろう。また、各曲ごとの演奏評もあり、操作性の良いHPである。

 稿の問題はじめ、もう少し突っ込んだコメントがあるのが、
2.Anton Bruckner Website Maintained by David Griegelである。

 このサイトは2005年までで更新がとまっているのが残念だが、1999年から2005年まで Bruckner Marathonと称してさまざまな演奏評を掲載している。日本ではあまり話題にならないものも丹念に聴いていて時折に参考になる。ここからのリンクで、いまも生きているのは、以下のとおり。

3.Classical Net Bruckner page
http://www.classical.net/music/comp.lst/bruckner.php
4.Guillem Calaforra's Bruckner page
http://www.uv.es/~calaforr/brucknerians.html
5.Paul Geffen's Bruckner page
http://www.trovar.com/bruckner.html
6.José Marques' Bruckner page
http://www.unicamp.br/~jmarques/mus/bruckner-e.htm

 かわったところではリンツのブルックナーハウスやブルックナーオーケストラの演目リストも刺激になる。「本場」での動向のフォローができる。

7.Bruchner Haus、Orchster
http://www.brucknerhaus.linz.at/www1/de/index.php?kind=12&lng=ger
http://www.bruckner-orchester.at/3256_DE

 また、研究誌では、ブルックナー・ジャーナルもでている。ここではさまざまな研究動向を知ることができる。
(以下は引用)
The Bruckner Journal is a publication for all enthusiasts and devotees of Anton Bruckner and his music. It aims to be of interest to musicians, scholars, amateurs and lay enthusiasts, in fact to all lovers of the extraordinary music of Anton Bruckner, whatever their level of knowledge and expertise.

8.Bruckner Journal
http://www.brucknerjournal.co.uk/index.html

火曜日, 8月 11, 2009

ルービンシュタイン ショパン集

 中学生だった40数年前にはじめて買ったLPが、ルービンシュタイン奏でるショパンのポロネーズ集、とても高価な、そして贅沢な演奏の1枚だった。また、ホロビッツが演奏を再開、大津波のような衝撃が日本にも走ったり、ミケランジェリの稀少なライヴがFMで流れて好事家のあいだで演奏評が沸騰したりと、その時代、いわゆる大家(ヴィルトオーソ)の演奏には、いまでは考えられないくらいの話題性があった。 
 しかし、ポリーニ、アルゲリッチはじめ、その後の輝かしい若手の台頭によって、また、日進月歩の録音技術の向上もあって、こうした大家の演奏はしばしお蔵入りとなった。
 
 近年、ショパンに関しても、ルービンシュタインに限らずフランソワなど、リヴァイバル盤がふたたび注目されている。その理由は、本全集を聴き直してみて、改めてその薫りたつような品位にあると感じる。真似のできないこの時代特有の演奏家の品位と作曲家に対する熱情が、本全集の底流にも溢れている。演奏技術の高度化では「後世恐るべし」だが、落ち着いて、演奏家の深い解釈にじっくりと耳を傾けるなら、本全集の価値はいまも決して減じてはいない。なにより、これが「全身全霊の1枚」といった極度の集中力が演奏家にも録音技師にも、強くあった時代だからかも知れない。

(参考)
アルトゥール・ルービンシュタイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 前半生は
ヨーロッパで、後半生はアメリカ合衆国で活躍した。ショパンの専門家として有名だが、ブラームススペインのピアノ音楽も得意とした。20世紀の代表的なピアニストの1人である。
ウッチユダヤ人の家庭に生まれる。ワルシャワで勉強し、ベルリンでカール・バルトに師事する。ヨーゼフ・ヨアヒムにブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏を聴いてもらい、その解釈を激賞される。1898年にベルリンでヨアヒム指揮の下、モーツァルトピアノ協奏曲第23番を演奏しデビュー。1904年パリに行き、フランス作曲家サン=サーンスポール・デュカスラヴェルらや、ヴァイオリニストジャック・ティボーと面会する。アントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで優勝するが、ユダヤ人だったために審査員や聴衆から人種差別を受けたと後に語っている。
1906年ニューヨークカーネギー・ホールで行なったリサイタルは聴衆に支持されたようだが、評論家から批判が相次いだため4年間、演奏活動を中止して自らの技巧・表現に磨きをかけた。その後アメリカ合衆国やオーストリアイタリアロシア、スペインで演奏旅行を行なった。特にスペインでは聴衆の圧倒的支持を受け、多数の追加公演を行った。1912年にはロンドンデビューを果たす。
第一次世界大戦中は主にロンドンに暮らし、ウジェーヌ・イザイの伴奏者を務めた。1916年から1917年まで、スペインや南米を旅行し、同時代のスペインの作曲家に熱狂して多くの新作を初演する。1932年にしばらく演奏生活から隠退して、数年のあいだ演奏技巧やレパートリーの改善に取り組んだ。この年に指揮者エミル・ムリナルスキの娘アニエラと結婚し、4人の子供をもうけた。娘エヴァは神学者・聖職者・反戦運動家のウィリアム・スローン・コフィン師と結婚し、息子ジョンは俳優となった。第二次世界大戦中はアメリカ合衆国に暮らし、1946年に米国籍を取得。
1960年
ショパン国際ピアノコンクールの審査委員長を務めた。このときの優勝者がマウリツィオ・ポリーニであり、ルービンシュタインのコメント「我々の誰よりも上手い」により大変有名となった。1976年、眼の中央に黒点が見える奇病「飛蚊症」が原因による視力低下により引退。引退後、自伝「華麗なる旋律」を執筆。1982年、ジュネーブで死去。

土曜日, 7月 18, 2009

ブルックナー  ラルキブデッリ

◆ブルックナー:弦楽五重奏曲ほか  ラルキブデッリ ( ビルスマ・アンナーほかの演奏)
収録曲:1. 弦楽五重奏曲ヘ長調
     2. インテルメッツォ ニ短調
     3. ロンド ハ短調
     4. 弦楽四重奏曲ハ短調

 ブルックナーの主要な室内楽を集めた1枚。ブルックナーは、他の作曲家にくらべて、室内楽、ピアノやヴァイオリンの器楽曲などが極端に少なく、コンチェルトの類もない。交響曲と宗教曲の作曲に集中し、それ以外のジャンルには手を染めようとしなかった。
 しかし、収録されている弦楽五重奏曲は大曲であり、またその豊かなメロディは魅力的であり、多くのファンがいる。一方で、2~4の各曲が取り上げられることは稀であり、音源も多くない。このCDは、1994年にアムステルダムで録音されているが、主要な作品を同一の団体で連続して聴けるだけでも貴重なものである。
 古楽器を使用した演奏も、各作品に適応しており、しなやかでクリアーな音色は明るくて、しかも作曲家に寄り添うような親近感を醸している。

(参考)『ウィキペディア(Wikipedia)』からの抜粋
 アンナー・ビルスマ(Anner Bylsma, 1934年2月17日 - )はオランダチェロ奏者。バロック・チェロの先駆者かつ世界的な名手として知られる。ガット弦を使用した弦楽アンサンブル『ラルキブデッリ(L'Archbudelli)』を主宰、夫人のヴェラ・ベスヴァイオリン)、ユルゲン・クスマウルヴィオラ)らとともに、バロック時代からロマン派までの室内楽作品を幅広く取り上げて演奏している。

日曜日, 7月 05, 2009

ジェシー・ノーマン 黒人霊歌集

 昨日、古CD屋で入手して聴く。深く、ほのかに陰影があり、よく伸び、なによりも言葉に説得力を感じる歌唱である。ノーマンは一度、たしか都民劇場のサークルの一環だったと記憶するが、ライヴで感動したことがある。そんな思い出に浸りながら堪能した。

【データ】
ジェシー・ノーマン(Jessye Norman)ダルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)ジ・アンブロジアン・シンガーズ(The Ambrosian Singers) 指揮:ウィリス・パターソン(Willis Patterson)
曲目タイトル:
1.私は誰の祈りも聞かない/((黒人霊歌))[3:20]
2.主よ、何という朝でしょう/((黒人霊歌))[3:58]
3.主よどうぞ、おお、主よどうぞ/((黒人霊歌))[2:01]
4.うろつく男がいる/((黒人霊歌))[3:09]
5.みたまを感じるたびに/((黒人霊歌))[2:02]
6.ギリアデの香油/((黒人霊歌))[3:20]
7.福音列車/((黒人霊歌))[1:17]
8.大いなる日/((黒人霊歌))[2:09]
9.マリアはみどり子を授かった/((黒人霊歌))[3:08]
10.つつましく生きよ/((黒人霊歌))[2:03]
11.いっしょに歩くのだ、子供たち/((黒人霊歌))[2:11]
12.あなたはいたのか?/((黒人霊歌))[4:49]
13.しっ!誰かがわたしの名を呼んでいる/((黒人霊歌))[2:33]
14.もうすぐわたしは終りだ/((黒人霊歌))[2:22]
15.イエスをわたしにあたえたまえ/((黒人霊歌))[4:45]

金曜日, 6月 26, 2009

ブルックナー その人物像 

 ブルックナーといえば、生涯独身の堅物、なかなか芽がでず金にも出世にも辛酸をなめた苦労人、聖地バイロイトになんども足を運んだ類まれなワグネリアン、神経症を患い、自らの作品をいくども手直しした優柔不断な性格といったイメージが強い。しかし、それは実像だろうか?
 もちろん、史実にもとづくものだから、そうした事実はあるのだろうが、見方をかえると別の人物像も浮かび上がってくるのではないか。

 第1に「生涯独身の堅物」だが、一方で結婚願望が強くなんども求婚を試みていること、ご婦人とのダンスをこよなく愛したこと、大食大飲の食いしん坊、大酒飲みで結構ユーモアのセンスももっていたこと等の指摘もあり、敬虔なるカトリック教徒ゆえ<戒律にも忠実>・・・といった堅物ではない。

 第2に「金にも出世にも辛酸をなめた苦労人」という点だが、これは主として保存されている手紙などからのイメージである。しかし、若い頃は別として、実はある段階以降は金の苦労はなかったし相当な遺産も残したこと、また本人は上昇志向が強く、権威・権力欲(といってよいと思うが)からはいつも不満はあったろうが、世俗的にみれば大変な成功者であったといってよい。最後の住処はときの宮殿内だったわけだから、赤貧のうちに憤死するといったことではない。

 第3に、熱烈なワグネリアンであったことは事実だが、自分で思っているほどにはその音楽はワーグナーとは近くはない(というよりも誰とも異なっているといった方がよいかも)。たとえば、標題性は希薄で、絶対音楽の技法では、バッハ、ベートーヴェンからの影響のほうがはるかに強く、伝統的な教会音楽の系譜も研究し、かつパイプオルガンの当代きっての名手として、交響曲において、オルガンのもつ広大で構築性の強い独自の音楽空間を設計したともいえよう。

 第4に、神経症を患っていたこと、ここはたしかに他人が計り知れない苦労、懊悩があっただろう。しかし、改訂魔というほどいくども自稿に手をいれることはあっても、これも意外なほど、その「本質」はかわっていない。堂々巡りといってはなんだが、後世からみて、果たして改訂によって、その音楽が良くなっているのか、その逆かの評価はきわめて難しい。極論すれば、最後はリスナーの感性の問題に帰着するものかもしれない。

 こうみてくると、その人物像をパセティックに見ていいのかどうか・・・とかねがね疑問に思っている。同時代にカウンセリングの精神科医が隣にいたら、本人に向かって、


 「ブルックナー先生、いやー、実に簡素で良いお暮らしで幸せではないですか。ブラームス先生も独身ですし、作曲に専心されるのであれば、そのほうが煩わしさがなくてよいかも知れませんよ。食事はともかく酒は少し控えられたほうがよいかも知れませんね。お得意のダンスと水泳は是非、続けられたら良いですね。なんといっても適度な運動は気分転換にもなりますし。でも、若いご婦人にはご注意あれ、いつかもセクハラで訴えられそうになったでしょ。いやいや、先生に限って、もちろん誤解でしょうが男性はそうした局面では実に不利ですからね。それから先生、ほら!もっと人生前向きに考えてください。ウイーンのみならず、いまや世界的に有名な大作曲家なのですから」


と言ったかも知れないなとひそかに思う。
http://shokkou3.blogspot.com/2008/05/blog-post_26.html

土曜日, 6月 20, 2009

クレンペラー ブルックナー 4番、8番@ケルン響

 本日入手。ケルン響でクレンペラーを聴くのははじめてである。以下では 8番について。

 1957年6月7日ケルンWDRフンクハウスでのライヴ録音である。クレンペラーの8番では、最晩年に近い1970年ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振った録音があるが、こちらは第4楽章で大胆なカットが入っており、それを理由に一般には評判が芳しくない。一方、本盤は遡ること13年前、ノヴァーク版のカットなしの演奏である。  

 驚くべき演奏である。巨大な構築力を感じさせ、またゴツゴツとした鋭角的な枠取りが特色で、いわゆる音を徹底的に磨き上げた流麗な演奏とは対極に立つ。また、第3楽章などフレーズの処理でもややクレンペラー流「脚色」の強さを感じる部分もある。小生は日頃、クナッパーツブッシュ、テンシュテットの8番を好むが、このクレンペラー盤は、その「個性的な際だち」では他に例をみないし、弛緩なき集中力では両者に比肩し、第1、第4楽章のスパークする部分のダイナミクスでは、これらを凌いでいるかも知れない。ケルン響は、クレンペラーにとって馴染みの楽団だが、ライヴ特有の強い燃焼度をみせる。「一期一会」ーいまでも日本では語り草になっているマタチッチ/N響の8番に連想がいく。リスナーの好みによるが、小生にとっては8番のライブラリーに最強カードが加わった新たな喜びを感じる。

<データ> 以下はHMVからの転載
◆ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』(ノヴァーク第2稿)
 ケルン放送交響楽団 オットー・クレンペラー(指揮) 
 録音時期:1954年4月5日(モノラル) 録音場所:ケルン、WDRフンクハウス、第1ホール(ライヴ)

 1917年から24年にかけてクレンペラーはケルンの音楽監督を務めていますが、戦後ヨーロッパに戻って1950年代半ばにまたケルン放送響とともに数多くのすばらしい演奏を繰り広げました。ベートーヴェンの第4番と第5番(AN.2130)でも確かめられるように、この時期のクレンペラーの音楽は引き締まったフォルムが何よりの特徴。ブルックナーは過去に複数のレーベルから出ていた有名な演奏で、のちのフィルハーモニア管との録音と比較しても全体に4分半ほど短くテンポが速め。

◆ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 
 ケルン放送交響楽団 オットー・クレンペラー(指揮) 
 録音時期:1957年6月7日(ライヴ、モノラル) 録音場所:ケルン、WDRフンクハウス、第1ホール

 WDRアーカイヴからの復刻。スタジオ盤では大胆なカットも辞さなかったクレンペラーのブル8ですが、ケルン放送響との57年のライヴではノーカットで演奏。にもかかわらず全曲で72分弱と快速テンポを採用、心身ともに壮健だった時期ならではの充実ぶりが聴き取れます。

土曜日, 6月 13, 2009

フランツ・ヴェルザー=メスト

 メストは、ブルックナーの7番(ロンドンのプロムス・コンサートにおけるライヴ。1990年に音楽監督就任が発表されたロンドン・フィルとの初レコーディング)、5番(下記の10)を聴いて感心している。
以下は「瞬間的」だが本日のHMVのメストの売れ筋上位10を転記。

1.セレンセン:『沈黙の影』、ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲、他 アンスネス、ヴェルザー=メスト&バイエルン放送響 録音:2007年5月16-19日、ミュンヘン、ヘルクレスザール(ライヴ) 2007年7月13,14日、ロンドン、エア・スタジオ
2.オペレッタ「メリー・ウィドウ」(ライヴ収録、2004年、スイス、チューリヒ歌劇場) メスト/チューリヒ歌劇場管弦楽団&合唱団/他
3.歌劇「イタリアのトルコ人」(2002年、スイス、チューリヒ歌劇場) ライモンディ/バルトリ/ヴェルザー=メスト/チューリヒ歌劇場管弦楽団&合唱団/他
4.コルンゴルト (1897-1957) ( Erich Wolfgang Korngold ) 交響曲嬰へ長調、歌曲集 ヴェルザー=メスト&フィラデルフィア管弦楽団  1995年11月デジタル録音
5.ブルックナー 交響曲第5番 ヴェルザー=メスト&クリーヴランド管弦楽団 収録時期:2006年9月12-13日  収録場所:リンツ、聖フローリアン大聖堂
6.歌劇「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」(収録:2005年チューリヒ芸術祭) メイ/ベルツァーラ/ハンプソン/ヴェルザー=メスト/他  収録: 2005年 チューリッヒ歌劇場(ライヴ)
7.歌劇『ボエーム』全曲 シレイル演出、W.-メスト&チューリヒ歌劇場管弦楽団、G.-ドマス  収録:2005年
8.歌劇『ヘンゼルとグレーテル』全曲 コルサロ演出、ヴェルザー=メスト&チューリヒ歌劇場 1998年12月3,4,7日 チューリヒ歌劇場におけるライヴ収録
9.ブルックナー 交響曲第9番 ヴェルザー=メスト&クリーヴランド管弦楽団  収録:2007年10月、ウィーン、ムジークフェラインザール(ライヴ)
10.ブルックナー 交響曲第5番 ヴェルザー=メスト&LPO  1993年、ウィーン、コンツェルトハウスでの演奏会をライヴ・レコーディング

金曜日, 5月 15, 2009

カルロス・クライバー


[CD 1]
ベートーヴェン:交響曲第5番 op.67『運命』、交響曲第7番 op.92ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1974年3月、4月、1975年11月、1976年1月(ステレオ)
[CD 2]
シューベルト:交響曲第3番 D.200、交響曲第8番 D.759『未完成』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1978年9月(ステレオ)
[CD 3&CD 4]
ウェーバー:歌劇『魔弾の射手』 全曲
ペーター・シュライアー(T)、グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S)、エディト・マティス(S)、テオ・アダム(Bs)、他
ライプツィヒ放送合唱団ドレスデン国立管弦楽団
録音:1973年1、2月(ステレオ)
[CD 5&CD 6]
J.シュトラウス2世:喜歌劇『こうもり』 全曲
ヘルマン・プライ(B)、ユリア・ヴァラディ(S)、ルネ・コロ(T)、ルチア・ポップ(S)、ベルント・ヴァイクル(B)、他
バイエルン国立歌劇場合唱団バイエルン国立管弦楽団
録音:1975年10月(ステレオ)
[CD 7&CD 8]
ヴェルディ:歌劇『椿姫』 全曲
イレアナ・コトルバス(S)、プラシド・ドミンゴ(T)、シェリル・ミルンズ(B)、ステファニア・マラグー(Ms)、他 バイエルン国立歌劇場合唱団バイエルン国立管弦楽団
録音:1976年5月、1977年5、6月(ステレオ)
[CD 9]
ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1980年3月(デジタル)
[CD10~CD12]
ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』 全曲
マーガレット・プライス(S)、ルネ・コロ(T)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(B)、ブリギッテ・ファスベンダー(Ms)、クルト・モル(Bs)、他
ライプツィヒ放送合唱団ドレスデン国立管弦楽団
録音:1980年8月、10月、1981年2、4月、1982年2、4月(デジタル)
 カラヤンがもっとも恐れた男は誰か?といった「問いかけ」は結構、話のネタとしては面白い。フルトヴェングラーやチェリビダッケといった初期の闘争史からのアプローチもあるし、同時代人として、バーンスタイン、ヨゼフ・カイルベルト、イーゴリ・マルケヴィッチなどの名も取り沙汰された。しかし、バーンスタインは活動の本拠がアメリカでいわば棲み分け、カイルベルトは田舎に引きこもり、マルケヴィッチも地味系でその敵ではなかったろう。
 しかし、カルロス・クライバーは別である。クライバーについては、病弱、神経質、レパートリーの狭さなどのマイナス要素はあるにせよ、上記のラインナップでみても、オペラを含め、カラヤンのメインの領域での「競合」は強く、かつ、どれも発売されればベスト盤の評価。コンサートでも人気は沸騰。しかも、自分が一時明け渡した頃のウイーン・フィルを振っての名演だから、余計に帝王カラヤンとしては気になる存在だったことだろう。
 演奏スタイルでも「競合」はあり、両者ともに曲によって軽快な疾走感では共通し、ダイナミズムのレンジの広さを大きくとり、大向こうを唸らせる技法も似ている。聴き比べると、ときには、カラヤンが生真面目に聞こえ、クライバーの方が奔放なテンポ取り、蕩けるようなメロディの響かせ方などで凌駕することもある。
 なによりも、クライバーの録音は、大家にしては極端に少なく、再録もしないから希少価値性があるが、カラヤンは彼の価値観上の「最高」を求めて、飽くなき録音、録画を繰り返し結果的に、いまとなっては厖大な音源がダンピング対象になっていることは大きな違いだ。
 さて、そのクライバーの実演にたった一度、行ったことがある。ミラノスカラ座の引越公演で、1988年9月25日(日)13:30からのマチネー、「ボエーム」を東京文化会館で聴く。感想をこう記した。
ー「絶品」のラ・ボエーム。このオペラに規範的な上演法ありとすれば、今日のこのメンバーと装置と演出によるそれがまさしくそうなのですよ、と訴えかけるような名演である。
 題材の底流にある「悲劇性」が、プッチーニの音楽では天国に通じる至福の響きに見事に転化されていく。美しい旋律、その気高きメロディを奏するカルロス・クライバーの見事なタクトさばき。はじめて実演に接したクライバーの指揮ぶりになによりも驚愕した。・・・・
 上記のディスコグラフィーはだいたい耳にしているが、クライバーの存在はいまも偉大だ。しかし、この都会的でやや偏屈な音楽家は、どうもあまりブルックナーは好みではなかったようで、知る限りにおいて音源がない。その点はとても残念なことではある。

月曜日, 5月 04, 2009

ブルックナー 最近の売れ筋チェック









 まず、上位10位までのランキング(Amazon 2009.5.5 15:00現在)

 1.ヴァント/ベルリン・フィル 交響曲第4番
 2.カラヤン/ウイーン・フィル 交響曲第7番
 3.シューリヒト/ウイーン・フィル 交響曲第9番
 4.ヴァント/ベルリン・フィル 交響曲第8番
 5.クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィル 交響曲第8番
 6.シューリヒト/ウイーン・フィル 交響曲第8番
 7.マタチッチ/チェコ・フィル 交響曲第7番
 8.ヨッフム/バイエルン放送響 交響曲第6番
 9.チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル 交響曲第8番
10.ヴァント/ベルリン・フィル 交響曲第5番

◆指揮者別には、ヴァント(3)、シューリヒト(2)、あとはカラヤン、クナッパーツブッシュ、マタチッチ、ヨッフムおよびチェリビダッケの5名が続く。
◆オーケストラ別には、ベルリン・フィル(3)、ウイーン・フィル(3)ががっぷり四つで、ミュンヘン・フィル(2)がこれに追随し、チェコ・フィル、バイエルン放送響が上位に入っている。
◆交響曲別には、8番(4)、7番(2)、あとは4番、9番、6番および5番が続く。

 このあとのランキングでもヴァントは上位に入っており、ブルックナーの売れ筋といえば、かつてのフルトヴェングラー時代から、いまやヴァント時代に移っていることがわかる。
 また、交響曲全集ではカラヤンが上位入り(11位)しており、ジュリーニ、プロムシテット、ベーム、朝比奈隆らも25位までのランキングでは複数曲が入っている。

土曜日, 4月 25, 2009

パールマン










 雨の一日。外出するのでこの鬱陶しい気分を転換すべく、パールマンの小品集を聞きながら歩く。
1.と19.のバックは前者はプレヴィン/ピッツバーグ響、後者はプレヴィンのピアノ伴奏。8.と9.はパールマン/ロンドン・フィル、ほかはサミュエル・サンダースのピアノ伴奏。

【内容/ジャケットは別】
1. ツィゴイネルワイゼンop.20(サラサーテ)
2. 亜麻色の髪の乙女(ドビュッシー/ハルトマン編)
3. 金髪のジェニー(フォスター/ハイフェッツ編)
4. アメリカの思い出(ヴュータン)
5. 故郷の人々(フォスター/ハイフェッツ編)
6. 妖精の踊りop.25(バッツィーニ)
7. エストレリータ(ポンセ/ハイフェッツ編)
8. ヴァイオリン協奏曲第1番「春」より第1楽章(ヴィヴァルディ)
9. ヴァイオリン協奏曲第4番「冬」より第4楽章(ヴィヴァルディ)
10.カプリース第24番イ短調op.1-24(パガニーニ)
11.愛の喜び(クライスラー)
12.愛の悲しみ(クライスラー)
13.踊る人形(ボルディー二/クライスラー編)
14.ロンドンデリー・エア(アイルランド民謡/クライスラー編)
15.アンダンテ・カンタービレ(チャイコフスキー/クライスラー編)
16.ノクターン(ショパン/ハイフェッツ編)
17.ヴォカリーズop.31-14(ラフマニノフ)
18.メロディー(チャイコフスキー/フレッシュ編)
19.ジ・エンターテイナー(ジョプリン/パールマン編)

金曜日, 4月 24, 2009

クラシック音楽 聴きはじめ 9 バーンスタインのマーラー











□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □  
バーンスタイン/ニューヨーク・フィルは1970年に来日、マーラー交響曲第9番を東京文化会館で演奏した。高校生だった個人的な思い出だが、会場で打ちのめされたような<衝撃>を受けて以来、このマーラー像に魅せられている。    
本全集は、バーンスタイン (1918-90年)が42才から57才頃までの最もエネルギッシュな活躍の時代に録音されたが、その後の再録もあるので一般には「旧盤」と呼ばれる。8番と『大地の歌』以外は手兵ニューヨーク・フィルとの演奏で、一貫してバーンスタインの、「没入型」ともいえる独自のマーラー解釈が表現され、迸るような熱い強奏と深く沈降するような弱奏が全般に早いテンポで交錯する。ワルター、クレンペラーの世代とは一線を画し、新マーラー解釈の扉を開いたといった当時の評価が思い出される。    
録音は古くなったが、演奏の最高の質、破格の値段(CD12枚組)からみて、シノーポリのような「分析型」との対比聞き比べの妙味でも、マーラー全集選択の最右翼である。 

【データ(録音年)】 
第1番ニ長調『巨人』(1966年)、第2番ハ短調『復活』(1963年)、第3番ニ短調(1961年)、第4番ト長調(1960年)、第5番嬰ハ短調(1963年)、第6番イ短調『悲劇的』(1967年)、 第7番ホ短調『夜の歌』(1965年)、第8番変ホ長調『千人の交響曲』(1966年、ロンドン響)、第9番ニ短調(1965年)、『大地の歌』(1972年、イスラエル・フィル)、第10番嬰ヘ長調「アダージョ」(1975年)

日曜日, 4月 19, 2009

ブルックナー/最近聴いているもの


 ワルター/コロンビア響で、4,7,9番および連続してテ・デウム、テンシュテットで左の3番(バイエルン放送響)と8番(ロンドン・フィル)、ウェルザー=メスト/ロンドン・フィルのライブで5番、クレンペラー/ニュー・フィルで6番を最近買ったalneoで通勤途上で聴いている。

土曜日, 3月 21, 2009

ブルックナーとブラームス
























 
 先週は、久しぶりにカルロス・クライバーの交響曲のCDを持ち歩いて聴いていた。ベートーヴェンの5番、7番のカップリングとブラームスの4番である。どちらも名だたる秀演である。
 しかし、今日はそのことを書こうとは思わない。最近、気分次第でブラームスをよく聴く。クラシック音楽に目覚めた中高校生頃はそれこそ夜も日も明けずブラームスにはまっていた時期もあった。しかし、いまの関心はブルックナーとの比較の視点から面白いと思う。 かつて書いた文章ーー

  1833年生まれのブラームスは、ブルックナーよりも9歳年下です。そのブラームスの第1番交響曲が21年の歳月をへて完成し(それ以前の「習作」などは廃棄したとも言われます)1876年に初演された時、彼は43歳でした。さかのぼって1868年、ブルックナーは第1番交響曲を自らの手で初演します。時に44歳でした。年齢差こそありますが、交響曲作曲家としてのデビューは2人ともほぼ同年代であったわけです。
  北ドイツのハンブルク生まれのブラームスが活動の拠点を音楽の都ウイーンに移したのは1862年、ブルックナーは7年遅れて1869年にウイーンに入ります。ブラームスが満を持して1番のシンフォニーを発表する以前、彼は「ドイツ・レクイエム」を世に問い自信を深めたと言われます。ブルックナーも同様に、ミサ曲二短調(1864年)、ミサ曲ホ短調(1866年)、ミサ曲へ短調(1867年)と相次いで作曲したうえで翌年1番のシンフォニーを期待とともに送り出します。
  ブラームスの最後の交響曲第4番は1884年から翌年にかけて作曲されますが、この年還暦を迎えたブルックナーは交響曲第7番をライプチッヒの市立歌劇場で、アルトゥール・ニキシュ指揮で初演し輝かしい成功を飾っています。さらにその後、ブルックナーは交響曲の作曲に10年に歳月をかけ1894年第9番のシンフォニーの第1から3楽章を完成させています。
  こうして見てくると稀代の交響曲作曲家としての2人の同時代性がよくわかります。有名な2人にまとわるエピゴーネン達の論争や足の引っ張り合いなどは一切捨象して、お互いの作風の違いや共通するその高い精神性への相互の思いなどをタイムスリップして聞いてみたくなります。
  両者の音楽理論的な異質性の論評は専門家や評論家の仕事でしょうが、両者の名演を紡ぎ出す指揮者がフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、シューリヒトはじめ多く共通しているのは興味深いと思います。これは、広義のドイツ文化圏のなかで捉えるべきものなのか、同時代性のもつ意味なのか、あるいは双方なのかーーブルックナー、ブラームスともにこよなく好きな日本の一リスナーといえどもやみがたく関心のそそられる問題ではあります。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!247.entry?&_c02_owner=1

 ブルックナーのあとでブラームスの交響曲を聴くと、ブラームスの音楽は、引き締まって、筋肉質で、とても凝縮感があるように感じる。その交響曲は、ブルックナーは長く、ブラームスはその相対比較においては実に短く感じる。当時のオーケストラ・メンバー(ウイーン・フィルが典型だが)に、程良い演奏時間からも聴衆の受けでも、ブラームスが好かれブルックナーが当初不評だったこともよくわかる。もっと端的に言えば、ブラームスは当時の「音楽界」の諸事情を洞察し、1作品の時間管理にしても、管弦楽団のモティベーションを高めるオーケストレーションの方法論にしても十分心得て作曲をしていたとも言えるかも知れない。合理的で無駄がなく、その音楽には情熱も気品もある。だからこそ、反ワーグナー派がここまで熱中するファンになったのだろう。

 ブルックナーはその点で大いに不利である。日本的な比喩では「独活(うど)の大木」という言葉が連想されるが、ブラームス愛好家からすれば、当時のウイーンではこうした世評があったとしても不思議ではない。クライバーの素晴らしい切れ味のブラームス4番を聴いているとその感を強くする。また、クライバーがブルックナーよりブラームスを好んで演奏したのも、そのスタイリッシュさからの共感あってではないかとも思う。

 蛇足だが、ブラームス(写真)はハンサムだったとの説が多い。晩年の憂いを含んだ髭の重厚な面影もご婦人にはもてたであろう。その点でもブルックナーは分が悪い。でも、あの無骨でぶきっちょで、粘着質な音楽への拘りの主、ブルックナーのほうが好きな人だって多くいる。私ももちろんその一人だが・・・。

金曜日, 3月 20, 2009

クラシック音楽の危機

  




大御所中の大御所、名盤中の名盤の代表例:フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第5番

 クラシックのCDの売れ筋を見ていると、いまや鬼籍に入った演奏家の古い録音が実に多い。もともとぼくは、どちらかといえば、「古き名盤」ばかりを聴いているので、違和感はないのだが、マーケットに放出される厖大な音源のなかで、長きにわたって生き残ることは至難であり、一部の若手や個性的な大家を除く現役の音楽家の苦悩はとても深いのではないかと思う。

  かつては音楽会にも足繁く通ったが、いまはまったく行く気がしない。仕事の一環でやむを得ずといった、余程のことでもないと自発的な意思でチケットを買うことはなくなった。
  毎日、CDを聴いているのに、ライヴにモティベーションがわかないのは、40年にわたって素晴らしい実演に接して、その記憶をたどりつつ、またいまの自分の尺度からは、あまり期待するモノがないからかも知れない。喰わず嫌いといわれようとも、意欲が湧かなければ、趣味である以上、これは仕方がないだろう。

  CDでもTVやFMでもライヴでも、いずれも同様だが、ここまで「過去」の大家が君臨する以上、この領域(クラシック音楽界)の現在および将来は危機だろう。演奏法、解釈などで新たなアプローチもあるが、それはそれで面白いけれど、だからと言って栄光の「過去」を塗りかえるようなエネルギーが、いま十分にあるとも思えない。

  加えて、特定の作曲家への偏重、人気のある一部(人口に膾炙した)名曲への特化、全曲ではなく切り売り型の商品化がより一層進んでいるように思う。この傾向からは、希少な作曲家、現代音楽などがとりあげられる機会の減少、コンサート採用曲などのヴァリエーションの狭隘化、いわゆる癒し系・イージーリスニング系の小曲ブームなどが顕著になり、ますますマーケットが狭くなっているような気がする。

 なにを隠そう、このブログで最近、自ら取り上げているものだって、そうじゃないかと思う。軽め、話題性、一部贔屓への傾倒など・・・。時代が人をつくり、その人が時代の音楽をつくり奏でるとすれば、出でよ、英雄(女帝)!ということになるのだろうか。

土曜日, 2月 07, 2009

ブルックナーとマーラー



 <ブルックナーとマーラー>
 この2人は、一種の師弟関係でもあり、同時代にウイーンで過ごし活躍した偉大な交響曲作曲家でもあるが、その特質はだいぶ異なっている。
 マーラーの音楽は、世紀末の都会的な雰囲気に満ちているように思う。日中、強い太陽光線に射られて、路上を鋭角的に切り取るビルの影絵のような陰影があり、その一方で、時に異様に派手なオーケストレーションは、夜の帳が下りてからのネオンサインのような華やかさがある。
 ブルックナーの音楽は、マーラーとの対比において都会的ではなく、田舎の畦道に注ぐ陽によって、むんむんたる土臭さが強烈に立ち上がってくるような、そして夜は、真鍮のような深い闇に煌々たる月光が注がれるようなイメージがある。
 もちろん、こんな感じ方自体が「書き割り」的であることは意識しておこう。マーラーの腺病質的な音感とブルックナーのある意味、素朴で健康的な響きの対比も同様に「書き割り」的であろうし、宗教的な受容だって、おのおの都市と農村に育った両巨頭の差異は大きかろう。
 朝比奈隆がかつて語っていたが、オーケストラの楽員にとって、マーラーの音楽はスリリングで演奏への積極的な動機付けがあるが、ブルックナーはその点、面白さに欠けその執拗な繰り返しには忍耐を要するというのも頷ける気がする。
 都会生活の刺激と大らかだが単調さに時に辟易とする田舎暮らしに通じるものがあるかも知れない。これも朝比奈の言葉だが、ブルックナーを「田舎の坊さん」と呼んだ含意には、そうしたブルックナーの特質を良く言い得ていると感じる。
 ぼくは、ブルックナーもマーラーも聴くが、ブルックナーにより惹かれるのは、鄙びた山村に生まれ育った原風景が堅固に内在する「田舎志向」にあるのかも知れない。都会生活によって、実はその利便性、快適性をふんだんに享受する一方、何か満たされないものを彼の音楽が無意識に埋めてくれているのかも、とも思う。
 洋の東西を問わず、都会と田舎の関係性のなかで人は、さまざまに移動しその人生を送る。その点では文明国に生きる限り共通、共有するものは多いはずである。マーラーに惹かれる時、またブルックナーに魅せられる時、人は、心象における<都会>と<田舎>2極の振り子の振幅のなかに自らを置いているのではないかと感じる次第である。

金曜日, 1月 02, 2009

謹賀新年


新年なので・・・。織工、廉価盤お奨めのリストマニアです。

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