土曜日, 11月 29, 2008

ブルックナー 水泳







 ブルックナーの名字は、「橋」をあらわすブリュッケに由来するとのこと。運動「音痴」にみえるブルックナーは実は水泳やダイビングが巧かったとの口伝もある。砂粒を数える心身症にも悩まされたブルックナーはこれも水に縁のある温浴療法のお世話にもなった。


 シャイーのブルックナー演奏からは「波動」を強く意識した。ブルックナーの音楽には寄せては返すような波の動きがあるように思われる。写真はリンツだが、ブルックナーも愛したというヨハン・シュトラウスの作品のひとつ美しく青き「ドナウ」は、ブルックナーにとっても身近な存在であった。

 山脈や森林のイメージがどうしても先にくるブルックナーの音楽はこのように「水」とのシナジーもある。ジャケットでも水の景色が使われていた例もあった。そう言えば、チェリビダッケは、ブルックナーの音楽に禅の境地を重ね合わせているが、枯山水のジャケットも違和感がない。ここでも石とともにその隠れた主役は見えない水の流れである。
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土曜日, 11月 15, 2008

カラス・アッソルータ


ウイークエンドシアター ドキュメンタリー「カラス・アッソルータ 究極のカラス」

チャンネル:BShi
放送日:2008年11月15日(土)
放送時間:翌日午前0:15~翌日午前1:53(98分)
伝説的なソプラノ歌手、マリア・カラスの芸術と人生をよみがえらせたドキュメンタリー映画。歌手であり、一人の女性であったマリア・カラスの、ときにオペラそのものをしのぐドラマティックな人生を、過去の映像を交えて再現する。
[ 制作:2007年, フランス (Swan Productions / ARTE France) ]
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 上記の本は『マリア・カラス―ひとりの女の生涯 (単行本) ピエール=ジャン レミ (著), Pierre‐Jean R´emy (原著), 矢野 浩三郎 (翻訳)』 みすず書房
 プリマドンナとしてオペラ界に君臨し、一挙手一投足がマスコミの称賛と非難を呼んだマリア・カラス。その栄光の陰の苦悶、海運王オナシスとの恋、ひとりの孤独な女としての素顔を浮彫にする。84年刊の新装。
 「1947年イタリアのフェニーチェ座で『トゥーランドット』他の上演でデビューを飾ってから、1965年ロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場の舞台までの17年間がマリア・カラスの全盛時代だった。彼女の一挙手一投足はつねにマスコミの称賛と非難を呼び、時に「牝虎」「気紛れなプリマドンナ」と言われながらも、成功への階段を登りつめる。だが、その遍歴のなかにこそ栄光の輝きと共に苦悶の呻吟があったのである。夫でありマネージャーだったメネギーニとの二人三脚と突然の離婚、海運王オナシスとの恋は世間の注視を浴びることになった。しかし、あのカラスが彼女をとりまく男たちの奴隷となり、称賛をえ、それを持続させていくための代償として、己れの身をけずり命を縮めるひとりの孤独な女としての姿は、本書に初めて明らかにされるものである。オペラをオペラとして蘇らせ、聴衆を夢と発見と熱狂の渦に巻きこんだ、今世紀の最も魅力的な舞台女優の知られざる素顔・情熱・ドラマがここにある」。
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 寝るまえに、この本をいま読んでいる。なかなか面白い。その矢先、ドキュメンタリー番組をやるというので見ることにする。映像を見ていて、マリア・カラスが持って生まれた美貌と途轍もない才能の持ち主であることを改めて実感する。本で詳細の記述があるので、一応の背景は知ったうえで映像を追うと、その表情の陰にある深い喜怒哀楽が 思われて興味深い。
 シュワルツコップもそうだが、マリア・カラスも非常な努力の人である。途轍もない才能をもった芸術家が、若き日から刻苦勉励の努力を積み重ねて、大変な高みに登る。これは世紀のサクセス・ストーリーであり、また、オナシスという稀代の実業家との悲恋がこれを彩る。
 その一方、酷使しすぎた心身、そして声は栄光と反比例して失われていく。そのテンポは、本来の老化以上に急速にすすみ、マリア・カラスの最盛期は短かった。
 シュワルツコップがオペラから年とともに歌曲に転じて、新たな、そして未踏の境地に行きついたことと全く別の人生航路をカラスは歩むが、53才での孤独で不遇な死は、彼女らしい直線的な生き様を貫いたという意味で、それ自身、ドラマツルギー性をもっている。
 本も映像もフランス作成だが、パリで死した彼女への関心と憧憬はこの国の人々にいまも鮮烈に焼き付いている証だろう。

土曜日, 11月 08, 2008

カラヤン ドキュメンタリー



生誕100年記念ドキュメンタリー Aモード・ステレオ
「ヘルベルト・フォン・カラヤン ~その目指した美の世界~ 」
11月8日(土) 23時56分00秒 ~ 翌01時27分00秒 [1時間31分00秒]
<内容>
 インタビューやリハーサルの風景を元に、カラヤンの内面に迫るドキュメンタリー。 多くの映像は、12年間にわたりカラヤンのミュージック・フィルムを手がけた ユニテルが保有しているものであり、それらのフッテージを補完するものとして 彼の妻と娘をはじめ、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、エフゲニー・キーシン、小澤征爾、サイモン・ラトルら 彼に関わった多くの男女の率直なコメントが盛り込まれている。 その結果、本作品は20世紀最大の巨匠の深遠にして複雑な姿を描き出し、 ある意味ではさらにミステリアスな存在として、その多様な人物像に光をあてている。 [ 制作:2007年 (ドイツ) ]
 なにげなく見だして、最後まで集中して堪能した。上記のほか、ルートビッヒ(クリスタ)、シュワルツコップ(エリザベート)、ムター(アンネ=ゾフィー)、コロ(ルネ)はじめベルリン・フィル、ウイーン・フィルの楽員はもとより、ヘルムート・シュミット元首相らがインタビューに登場するなど実に多くの証言が盛り込まれた充実した作品。知られざるエピソードにも事欠かないし、プライヴェートな映像も満載で、あっという間の91分だった。
 必ずしも「カラヤン礼賛」といった作り方ではなく、欠点や批判的な意見も含め、その巨大な人間像を描き出そうという制作者の意図が感じられた。
 「全て暗譜の猛烈な勉強家」(ルートビッヒ)、「公私ともに厳しい規律正しさ」(シュミット)といったコメントがある一方、ウルム、アーヘン時代の赤貧ぶり、ナチとの関係(2度の入党)から晩年のベルリン・フィルとの決別経緯、椎間板の病気との闘い、老いへの慨嘆といった点も浮き彫りにされていて新鮮な印象。
 指揮者では、フルトヴェングラーやチェリビダッケとの関係といった書き割りパターンとは別個のアプローチで、バーンスタインとのライバル関係にスポットをあてていた。カラヤンはじめてのアメリカ公演ではバーンスタインのお世話になった。当時、バーンスタインはNYフィルでの登壇をセットしたが、カラヤンは終生、バーンスタインをベルリン・フィルには招かなかったとか、小澤征爾が両巨頭の弟子の「二股」で大丈夫かと言われたとか、晩年の2人の邂逅エピソード(ウイーン・フィルを半分ずつ振るプログラムをやろうと言ったとか)、カラヤン追悼でバーンスタインがマーラーの5番を選択したとかがここで取り上げられていた。マーラーの5番は2人の練習風景を交互に写しその違いを強調するなど小憎らしいくらい凝った部分も見どころだった。
 
 全体から受けた印象は、「帝王」といったレッテルよりも、抜群の才能に満ちた指揮者、我が儘だが生真面目な実務家、先駆的なエンジニア兼総合芸術プロデューサーの共存といった感じで、むしろ番組を見る前よりも身近な存在に思えた。幼少の娘2人に熱いスパゲッティを取り分けてあげる場面などの挿入があるからかも知れないが、「人間カラヤン」の素顔に少しく触れた思いがした。なお、ブルックナーでは9番の映像が入っていた。

金曜日, 11月 07, 2008

シノーポリ ブルックナー 3番









ブルックナー 交響曲第3番 二短調
(ノヴァーク/第2稿 1877年 )
ドレスデン国立管弦楽団
録音:1990年4月 ドレスデン、ルカ教会
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 シノーポリのブルックナーは廃盤がつづき、今日現在では輸入盤で5番が手にはいるくらいで、根強いファンを除いてはあまり聴かれていないようだ。

 小生は「稿」の問題はあまり気にしない質だが、3番で良く演奏される稿としてノヴァーク第2稿(1877年)と第3稿(1889年)がある。この第3稿では相当なカットが行われていることから、演奏時間に影響しどちらをとるかには否応なく関心の集まるところだ。最近はワーグナーの影響の濃い第1稿(1873年)を演奏するのも一種のブームだが、シノーポリ盤はブルックナーの自主的な改訂を踏まえた第2稿(ノヴァーク版)を採用している。第2稿では他にエーザー版もあり、小生はクーベリック盤を好んで聴いている。また、シノーポリと同じノヴァーク版Ⅱ採用組では朝比奈盤がある。

 シノーポリのブルックナーの人気が「いまいち」なのは何故か。シノーポリと言えば「大胆な解釈で異質の演奏」といったイメージが強い。このイメージを植え付けた典型的なマーラーなどとは違い、ブルックナーではある意味、「常識的」でオーソドックスな演奏だからかも知れない。しかし、聴きこんだブルックナー好きにとっては共感が持てると思うし、もっと陽があたってよいと感じる。

 全般にテンポの可変性を抑えた運行である。第1楽章、ヴァイオリンを中心とする第2主題の提示ではドレスデンの良質な弦のアンサンブルを際だたせ、第3主題の管の強奏ではこれを存分に響かせるなど、この楽章は、オーケストラの力量をみせるいわば「顔見せ興業」のような印象をうける。
 第2楽章以降もこの傾向はつづくが、録音のせいかやや管楽器の物量が大きく出すぎているような場面もある。弦楽器の残響の美しいルカ教会での収録なので、ドレスデンの薄墨を引いたような上品な良さがある弦楽器がもっと前面にでても良いのにと思う。また、ある楽章にアクセントをおき、それをもって全曲の隈取りをはっきりさせるといったヨッフム、クレンペラー的なスタイルをとらず、シノーポリは各楽章毎に実に淡々とこなしていくといった流儀とみえる。

 それがゆえに、アクの強い演奏に慣れていると物足りなさを感じる向きもあろう。クナッパーツブッシュ的な「わくわくドキドキ感」はない一方、曲の構造、メロディの細部に関心が寄せられるような集中度の置き方である。小生はこれをもって「分析的」と思うのだが、こうした演奏も大変好ましく感じる。今週は、出勤途上にCDを持ち歩いて久しぶりに聴いているが、飽きない。じわじわと噛みしめるような良さがある。
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土曜日, 11月 01, 2008

シュワルツコップ3  ○●○●○




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  シュワルツコップの魅力はドイツリートである。もちろん!しかし、オペラでの存在感も大きい。フルトヴェングラー、クレンペラー、セル、ベーム、カラヤンらは彼女の才能を極めて高く評価していた。オペレッタの洒脱な雰囲気も上質である。つまり、オールラウンドの歌い手である。そして、それは弛まぬ努力によって保たれていたことは有名である。
 引退近くの1970年に来日して、はじめてライヴでヴォルフの歌曲を聴き虜になった。それ以前からのファンだからもう40年近くになる。
 織工のリストマニア(シュワルツコップの項目)を今日久しぶりに更新した。国内での販売(現存盤)が減っていて正直寂しかった。海外ではしっかりと全集や初期の録音も出されているようだ。ライヴは本当に素晴らしかったし、その高潔な人柄も偲ばれる。海外で身近に接した多くのファンがいることは理解できる。むしろ、そうした比較では日本だって結構、根強く聴かれていると評価したほうがいいのかな。
 ヴォルフは好きだが、明るい曲も聴きたくなる。オペレッタの特集が気に入っている。たしか織工Ⅱに書いたことがある(一番右のジャッケット)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 エリーザベト・シュヴァルツコップ(Olga Maria Elisabeth Frederike Schwarzkopf, 1915年12月9日 - 2006年8月3日ドイツソプラノ歌手
 プロイセン王国ポーゼン州(現ポーランドヴィエルコポルスカ県)のヤロチン:Jarotschin, Jarocin - ロック・フェスティヴァルで有名)で生まれ、ベルリン音楽大学で学んだ。最初はコントラルトであったが、後に歌手で名教師のマリア・イーヴォギュンに師事し、ソプラノに転向した。1938年ベルリン・ドイツ・オペラで『パルジファル』の花の乙女を歌い、デビューした。1943年に当時ウィーン国立歌劇場の総監督だったカール・ベームに認められたため、同歌劇場と契約し、コロラトゥーラ・ソプラノとして活躍を始めた。
 
第二次世界大戦後、後に夫となるHMV/EMI/英コロムビアレコードの名プロデューサー、ウォルター・レッグと出会った。レッグは『セビリアの理髪師』のロジーナを歌うエリーザベトを聴き、即座にレコード録音の契約を申し出た。しかし、当時から完全主義者だった彼女がきちんとオーディションをするよう望むと、レッグは厳しいオーディションを行った。ヴォルフの『誰がお前を呼んだのか』(Wer rief dich denn?:『イタリア歌曲集』中の1曲)を繰り返し様々な表情で歌わせるというもので、これを1時間以上も続けたという。
 居合わせた指揮者カラヤンはあまりの執拗さに、レッグに対し「あなたは余りにもサディスティックだ」と言い置いて立ち去った。しかし、シュヴァルツコップはレッグの要求以上の才能を見せ、2人はその夜EMIへの専属録音契約を交わした。それ以来レッグは彼女のマネージャーと音楽上のパートナーを務め、1953年に2人は結婚した。
 当初は彼女の声質により、ブロントヒェン(『
後宮からの誘拐』)やツェルビネッタ(『ナクソス島のアリアドネ』)などコロラトゥーラの役を歌っていたが、レッグの勧めもあって、次第にリリックなレパートリー、すなわちアガーテ(『魔弾の射手』)や伯爵夫人(『フィガロの結婚』)などに移行していった。 バイロイト音楽祭ザルツブルク音楽祭にも出演し、ベーム以外にもカラヤンやフルトヴェングラーともしばしば共演した。1947年にはイギリスコヴェント・ガーデン王立歌劇場に、1948年にはミラノスカラ座に、1964年にはニューヨークメトロポリタン歌劇場にデビューし、そのほか各地の歌劇場で歌い、あるいは歌曲のリサイタルを行った。 1952年には元帥夫人(『ばらの騎士』)をスカラ座においてカラヤンの指揮で歌い、成功を収めた。以来、この役は彼女を代表する役柄として知られるようになった。オットー・アッカーマンの指揮のもと、EMIにオペレッタの録音を残している。
R.シュトラウスやヴォルフの歌曲録音は高く評価された。
 他人を誉める事は少ない。しかしながら、
フィッシャー=ディースカウを「神のような存在」、白井光子ハルトムート・ヘルのリート・デュオを「世界最高の音楽家夫婦」と賛辞を送っている。
 シュヴァルツコップは
1976年に歌劇場での現役を退くとともに、歌曲リサイタル(1979年引退)と後進の指導に力をいれた。1992年、イギリス女王エリザベス2世は、シュヴァルツコップにDBE(Dame Commander of the Most Excellent Order of the British Empire)の称号(ナイト爵に相当し、女性に与えられる)を授与した。
2006年8月3日、オーストリア西部のフォアアールベルク州シュルンスの自宅で死去。死因は不明。90歳だった。

シュワルツコップ2

シュワルツコップ1