土曜日, 3月 29, 2008

ブルックナー3番 (クナッパーツブッシュ、セル、ベーム、ヴァント)

①クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィル(1954年:スタジオ録音)ノヴァーク版第3稿
②セル/シュターツカペレ・ドレスデン(1965年:ザルツブルク音楽祭ライヴ)1888~89年版
③ベーム/ウイーン・フィル(1970年:スタジオ録音)ノヴァーク(1958年ブルックナー協会)版
④ヴァント/ケルン放送交響楽団(1981年:スタジオ録音)ノヴァーク版第3稿

 以上の4枚を聴き比べる、というと正確ではない。①をずっとCDプレイヤーに入れて持ち歩いて聴いている。ほかのクナッパーツブッシュの演奏でも記したとおり、いわゆる「大見得を切り、大向こうを唸らせるような」演奏であり、(自分もその一人だが)クナッパーツブッシュ好きなら、<堪らない>節回しである。もっとも、クナッパーツブッシュは同番についてステレオ録音をふくめ多くの記録を残しているが、1954年盤は珍しくスタジオ録音盤である。

 ①を聴いていて、別のアプローチを味わいたくて②を取り出す。その感想については下記のとおりだが、セルについては同じザルツブルクでの7番もあり、両方ともに再度、よく聴き直してみたいとは思う。

 ③は②にいささかの不満を抱いて比較したくて聴く。その感想はすでにいろいろと書いてきたので省略するが、やはり実に良いと思う。これは、自分にとっての<規準盤>である。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!941.entry?&_c02_owner=1

 ④は久しぶりに聴く。ヴァントの演奏もベームと似たところがあるが、こちらの方が肌合いが柔らかく、抒情的なメロディの表現の部分ではグッとくる向きもあろう(逆に、人によってそこに好悪もあろうが)。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&display=public&page=5

 録音時点も、使用版もちがうので一概に比較はできないが、こうして4枚を聴いてくると、いまの自分の感性では、やはりクナッパーツブッシュが頭一つ抜けているように思う。ベームの緊張感溢れる演奏は平均的にみてベストと思いつつ、肩の力を抜いて、「ひらり」と演奏してしまうような軽ろみの美学がクナッパーツブッシュにはあり、これが他の指揮者とは大いに違う点だと思う。クナッパーツブッシュ自身、ブルックナーが好きで、各曲の解釈に絶対の自信をもち、かつ、ある意味、ご本人はこよなく楽しんで演奏しているような大家の風情がある。
 しかも、それはけっして単調、単純な演奏ではなく、ときにパッショネイト丸出しのように振る舞うかと思うと、一転、沈着冷静に構えたりと一筋縄ではいかない。その<意外性>こそ、この晦渋なる3番でのクナッパーツブッシュの面目躍如と言えそうだ。

http://shokkou3.blogspot.com/2007_12_01_archive.html

セル ブルックナー3番

ブルックナー:交響曲第3番ニ短調 シュターツカペレ・ドレスデン ジョージ・セル(指揮)  録音:1965年、ザルツブルク[モノラル・ライヴ]  なんど聴いても、もう一歩物足りない。巨匠セルという「先入主」をのぞいて聴いて感動するのは難しいかも知れない。音のバランスが実によく、セルらしい潔癖で整った演奏である。音もそう暗くなく、テンポも無理なく軽快さを喪っていない。総じて欠点のない出来ではある。  しかし、クナッパーツブッシュの大見得を切るような強烈な3番を聴いたあとでかけると、「もっと深部に踏み込んでほしい」と思わず感じてしまう。ほかでも書いたが、この3番という曲の<異常性>が捨象されて、そつなく無難に料理されているような趣き。  これは個人的な好みの問題かも知れないが、3番と8番はクセの強い曲であるがゆえに、深くえぐり取るようなアプローチが性にあう。この2曲に関する限り、鳥肌が立つような演奏が相応しいと思っている。ベームは冷静な処理だが、結構メリハリを利かせてリスナーを唸らせる。それとの対比でもセルは大人しいなあと感じてしまう。多分に録音の悪さに起因する部分もあろうが、シューリヒトの3番同様、期待値が高いとその分の落差も大きいということか。 (参考)シューリヒト ブルックナー3番 http://shokkou3.blogspot.com/2007_03_01_archive.html


水曜日, 3月 19, 2008

ムラヴィンスキー ブルックナー7番

ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 [ハース版] 1967年2月25日モノラル録音

次のエピソードがウィキペディア(Wikipedia)にのっている。

 BBCがムラヴィンスキーの特別番組を放送した中に、旧レニングラード・フィルのヴァイオリン奏者が語った彼の仕事ぶりを示す象徴的なエピソードがある。それは、ブルックナーの交響曲第7番のリハーサルの話である。
「ムラヴィンスキーはオーケストラのメンバーが完璧だと思っても満足せずに、家でスコア研究をし尽くし、メンバー全員にぎっしりと書き込みで埋まった楽譜を配布した。通しリハーサルの日は何度も何度も繰り返し細かい要求に答えなければならず体力的に厳しかった。忘れられない一日となった。最後の通しリハーサルのときはあまりにも完璧で信じられない演奏となり、そのクライマックスではまるでこの世のものではないような感覚に襲われた。しかし、最も信じ難いことは、ムラヴィンスキーがこの演奏の本番をキャンセルしてしまったことであった。その理由は『通しリハーサルのように本番はうまくいくはずがなく、あのような演奏は二度とできるはずがない』というものであった。」

 この録音7番はキンキンという管楽器が耳障りだとかって書いた。ライヴ録音で音響環境はよくない。しかし再度、聴いていて、演奏の充実ぶりには感嘆する。ブルックナーばかり聴いていると、普段は一応満足しているCDでも、気分によって「このフレーズはなんとも退屈な処理だな」と思うことがある。
 最近はあまりに遅い演奏にいささか辟易とすることもある。世評、名演の誉れ高いものであっても一定以上の遅さによって受忍限度を超える場合がある。ライブで聴いていれば、これは感じないものだろうが、なんども回すCDではあらかじめ演奏時間がわかっているので、鬱陶しさがはじめにくる。

 しかし、ムラヴィンスキーのこの演奏には<退屈なフレーズ処理>、<鬱陶しい遅さ>ともにまったく無い。というよりも、リズミックな躍動とときに軽快なスピードにゾクゾクする瞬間が波状的にくる。ただしメロディは磨かれて美しくあるも、それに金管が少し過剰にかぶさってくるときは率直に言って耳障りだが、それをのぞけば、全体としては実に整然とした構えをもち、音楽は生彩感に満ちている。
 8番でやや感情的に書いたが、底流に感じるのは猛烈なオーケストラと指揮者の「集中力」である。その点において、デモーニッシュなフルトヴェングラーの演奏を連想させる部分もある。
 ヴァントやベームの7番も好きだが、頬を張り、少し戦闘的な緊張感に浸りたいときには最右翼に聴きたい7番である。

土曜日, 3月 15, 2008

サンサーンス 組曲「動物の謝肉祭」ほか

【曲目】
1.組曲「動物の謝肉祭」(サン=サーンス) 2.青少年のための管弦楽入門op.34(パーセルの主題による変奏曲とフーガ)(ブリテン) 3.組曲「ハーリ・ヤーノシュ」(コダーイ)
【演奏】
1.はアーサー・フィードラー/ボストン・ポップス管弦楽団(1961年8月14日録音)
2.はオーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1974年3月27,28日録音)
3.はラインスドルフ/ボストン交響楽団(1965年4月22日録音)
 ばらばらの素材をあつめたような編成だが、どうしてどれも粋で録音も悪くない。1.の軽妙、2.のオーケストラの技術力、3.の迫力とも聞かせる演奏で、3つの管弦楽団のサウンドが味わえるのも嬉しい。

月曜日, 3月 03, 2008

クナッパーツブッシュ ベートーヴェン 交響曲7番

 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮) ベルリン国立歌劇場管弦楽団(o.) 1929年の録音。
 結構、なんとか聴き取れる程度の録音。第4楽章を聴いていて、初期のカラヤンの7番のスピード感が二重写しに感じる。カラヤンはトスカニーニ張りとよく言われたが、どうして身近の大家の演奏をよく研究していたかも・・・。6:33の演奏時間の疾走感はなんとも爽快。 いつも遅いばかりじゃないぞ!という、このトリッキーさ。そこもクナッパーツブッシュのベートーヴェンの魅力かも知れない。

(参考)カラヤンの同番 初録音のデータ / 同じベルリン国立歌劇場での収録が興味深い
●ベルリン国立歌劇場管弦楽団
■録音年月日:1941年6月
■録音場所:ベルリン
■録音:モノラル
■原盤所有社:ドイツ・ポリドール
■タイミング:I:12:46、II:9:12、III:7:56、IV:6:28

クナッパーツブッシュ ベートーヴェン 交響曲第3番

 ベートーヴェン交響曲第3番。クナッパーツブッシュ/ベルリン・フィル。1943年の録音。
 ブルックナーばかり聴いているせいか、クナッパーツブッシュのこの演奏から、ブルックナー的なメロディや音階がときに出現し驚く。■「違うでしょ!ブルックナーが<エロイカ>を研究しつくしていたから近似性があるのでしょ」。●否、そうではなくて、クナッパーツブッシュの音楽へのアプローチが、ベートーヴェンもブルックナーも共通していると思うのだ。■「あたりまえでしょ!絶対音楽、ソナタ形式とも両者に共通しているのだから、鑑賞上そう感じて当然」。●否、うまく言えないのだが、音のつくり方、音楽の運行の仕方のようなところで、あっ、そうかと思う部分があるということ。葬送行進曲も「暗さ」が抑制されているし、終楽章のフォルテシモでは、さあいくぞというところで、実はぐっと音量を抑えてじっくりと構えてみたり、そういう「所作」がブルックナー演奏にもあると感じるんだな。■「それがクナッパーツブッシュ流の演奏スタイルなら、別にブラームスでもヒンデミットでも同様なんじゃないの・・・」●なるほど、他ももっと聴いてみないとわからないか・・・。
 そんなことを自問自答しながら耳を傾ける。敗戦の直前、クナッパーツブッシュ55才頃の録音、生硬だが組み立てのしっかりした実に良い演奏である。

日曜日, 3月 02, 2008

テンシュテット ブルックナー 4番 

ブルックナー: 交響曲 第4番 変ホ長調 「ロマンティック」 [ハース版]
【演奏】クラウス・テンシュテット(指揮)、ベルリン・フィル
【録音】1981年12月13,15,16日 フィルハーモニー,ベルリン
(”Cento Classics”シリーズの1枚)
http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=770389&GOODS_SORT_CD=102

 久しぶりに聴く。第4楽章に顕著だが、ピアニッシモで慎重に奏でられる弦楽器の幽玄の響きにリスナーの神経は引きつけられ自然にそばだつ。その直後に、管楽器の光輝ある分厚い強奏が襲ってくるーその<コントラスト>の妙がこの演奏ほど見事に展開される例はあまりないのではないか。
 フルトヴェングラー的ともいっていい<技法>だが、テンシュテットでは、その演奏に<技法>という言葉は似つかわしくない。「それこそがブルックナーの企図したことなのだ」という強い信念が背景にあるような気がする。
 テンポはフルトヴェングラーのようには動かさず、振幅は大きく感じないが、繰り返されるこの<コントラスト>は累積するに及んで、じわじわと感動の原質になっていく。
 レントラー風と言われる素朴なメロディ形成の部分では、本当に親しみのこもった暖かみのある明るい響きが満載されるところも魅了される点だ。以前から小生にとって4番のベスト盤との評価だが、今日聴き直しても全く同じ感想である。