日曜日, 9月 30, 2007


チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調作品48
●ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
■録音年月日:1966年10月6日
■録音場所:イエス・キリスト教会、ダーレム
■録音:ステレオ
■スタッフ:P:オットー・ゲルデス、D:ハンス・ウェーバー、E:ギュンター・ヘルマンス
■原盤所有社:ドイツ・グラモフォン


チャイコフスキー:バレエ《くるみ割り人形》組曲作品71a
●ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
■録音年月日:1966年10月13日、12月26日
■録音場所:イエス・キリスト教会、ダーレム
■録音:ステレオ
■スタッフ:P:オットー・ゲルデス、D:ハンス・ウェーバー、E:ギュンター・ヘルマンス
■原盤所有社:ドイツ・グラモフォン


http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%81s%82%AD%82%E9%82%DD%8A%84%82%E8%90l%8C%60%81t


 これも下記と同じく100円で購入。カラヤン嫌いの人にとってはこのいわゆる「甘美さ」が厭なのだろうが、ロッシーニと聞き比べると実に面白い。「甘美」というステロタイプな言い方とは違うが、確かに音色とメロディづくりをカラヤンは作曲家によって変化させているように感じる。ロッシーニの抜群の明解な切れ味に対して本盤の特色は!?

 チャイコフスキーはかって、大枚を叩いてドイツ直輸入のカラヤンの高価な全集を買った。高校生の当時、何度も聴いたけれど、どの曲にも通底し一貫したメランコリイさがある。この2曲にももちろんある。メランコリイというと「女性的」、いまでは避けるべき用語かも知れないが「女々しく」響くかも知れないが、そうではない。名状しがたい「憂愁」とでも言うべきか、でも気怠いアンニュイとも違う。「憂国」的な政治的なニュアンスとも異質。時に自己韜晦し、時に雄々しく孤独に耐えようとする「憂愁」かな!?言葉では解析がむずかしい、そういう音をベルリン・フィルから自在に出させるところがカラヤンのほかにはない魔術かも知れない。

ロッシーニ:序曲集([1]歌劇《どろぼうかささぎ》序曲、[2]歌劇《絹のはしご》序曲、[3]歌劇《セミラーミデ》序曲、[4]歌劇《セビリヤの理髪師》序曲、[5]歌劇《アルジェのイタリア女》序曲、[6]歌劇《ウィリアム・テル》序曲)
●ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
■録音年月日:1971年1月2、5、6日
■録音場所:イエス・キリスト教会、ダーレム
■録音:ステレオ
■スタッフ:P:ハンス・ヒルシュ、D:ハンス・ウェーバー、E:ギュンター・ヘルマンス
■原盤所有社:ドイツ・グラモフォン

http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%81s%83A%83%8B%83W%83F%82%CC%83C%83%5E%83%8A%83A%8F%97%81t

近くの古CD屋さんのバーゲン。毎日少しずつ安くなり今日は1枚100円。申し訳ないような価格で購入。通俗名曲と侮ることなかれ。どれも天空を駆ける名駿馬の如くの演奏。

土曜日, 9月 29, 2007

シャイー プロコフィエフ 「アレクサンドル・ネフスキー」

プロコフィエフ/カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」op.78 

リッカルド・シャイー(指揮):クリーヴランド管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団合唱団(合唱指揮…ロバート・ペイジ)、イリーナ・アルヒポヴァ(メゾ・ソプラノ) 
1983年3月録音 (収録)
1.モンゴルの制圧にあえぐロシア、
2.アレクサンドル・ネフスキーの歌、
3.プスコーフの十字軍士、
4.めざめよ、ロシア人民、
5.氷上の戦い、
6.死の原野、
7.アレクサンドルのプスコーフ入城   

「アレクサンドル・ネフスキー」(1939年作曲)は、1242年の氷上の戦いでドイツ騎士団を壊滅させたネフスキー大公(聖人)の物語を通して、ファシズムへの憎悪を表現したといわれる。エイゼンシュテインの映画音楽として当初作曲され、のちに生まれ変わった作品。  
アレクサンドル・ネフスキー(1220-1263)はウラジーミル大公国の大公だった実在の人物。中世ロシアの英雄と讃えられ、東方正教会の聖人に列せられている。アレクサンドルの敵はドイツ騎士団とスウェーデンであり、彼はモンゴル帝国のバトゥを味方に付けてドイツ騎士団等と対峙し,ノヴゴロド公だった1242年には襲来したドイツ騎士団を「氷上の戦い」と後世形容されるチュド湖上の戦いで撃破する。  
その戦闘をセルゲイ・エイゼンシュテインが1938年に映像化したのが映画「アレクサンドル・ネフスキー」で、その音楽を担当していたのがプロコフィエフであり、翌年、それを転用してカンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」を作る。  
プロコフィエフとエイゼンシュテインは、同世代のロシアの芸術家で、「アレクサンドル・ネフスキー」のほか「イワン雷帝」第1部・第2部を共作した。彼らはともに、革命後の一定期間を外国で過ごし、ソ連に帰還している。プロコフィエフは、ロシア革命(1917年)直後に出国し、ソ連帰国(1936年)。エイゼンシュテインは、「ストライキ」(1924年)、「戦艦ポチョムキン」(1925年)、「十月」(1927年)、「全線」(1929年)と映画史上に残る無声映画の傑作を製作後、1929~32年の間、アメリカ、メキシコに滞在。そのエイゼンシュテインが初めて完成させたトーキーが本作であった。「氷上の戦い」を軸としたこの映画は、明確に時代を反映したものであり、日独の脅威が迫っていた当時、映画で描かれるキプチャク・ハーン国(モンゴル)は日本に、騎士団はナチス・ドイツになぞらえて理解された(実際、1939年に日ソはノモンハン事件で衝突し、41年には独ソ戦が勃発する)という。   http://www.tmso.or.jp/j/news/ivan.php  

さて、シャイーの演奏だが、オルフ「カルミナ・ブラーナ」を彷彿とさせるダイナミックな表現力が魅力である。シャイーはほかにもショスタコーヴィチ「ジャズ音楽集」、「ダンス・アルバム 」やメシアン「 トゥーランガリーラ交響曲」などを得意としているが、こうしたメリハリの利いた民族色豊かな曲に魅力を感じているようだ。メゾ・ソプラノのアルヒポヴァの声も奥行きがありながら柔らかく陶然たるもの。